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勝ったら止める、みたいなのは必勝法でも何でもない、そこで止めても時間おいてまた始めたら試行数の積み上げが再開されるからだ
他人の金だからどう遊ぼうと自由だが、したり顔で間違ったことを吹いてるバカがいると一言いいたくなる
で、指摘されると顔真っ赤にして噛み付いてくるバカ

俺を含めた特殊な予知能力の無い大半の凡人にとって、カジノで勝てる方法は無いのが結論
では何でやってるかというと単純に金賭けることの刺激とか今日は勝てるかも!というワクワク感があるからで、長期的に負けることが分かってても今日勝つか負けるかは話が別だからかな
矛盾するようだが、勿論、やるときは勝つつもりでやってるし、オカルト含めたいろんな方法論でやってるよ、そして勝てれば嬉しい

フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2010年12月①

月刊パセオフラメンコのガチンコ感想。
みゅしゃに続く、その二人目の完走者は、
福岡県のshekere!

フラメンコの神様は 1960年頃 きっとこう考えたのです
このままではフラメンコは衰退の一途をたどるに違いない。
継承者も減少している。
文化として 芸術として人々を感動させてきたこの宝物が
段々小さくなり 埃まみれになろうとしている。
スペインの国内だけに継承者を求めるのは もはやナンセンス!
世界中にフラメンコの使者を作ろうではないか!

そして白羽の矢は世界中に放たれ 日本にも何本か飛んで来ました。
この矢が外れてしまった国や刺さった事に気付かない国も多い中
日本に飛んで来た矢は かなり高い確率で命中。
更にその矢は 他の国々より 深く刺さった様で 物凄い力が生まれました。

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三人の女傑
お写真の凛々しい事!!
これだけでも 相当な説得力です。
そして実年齢を見て更にびっくり!
そのバイタリティー パワー!
信じるものはコレ
私の進む道はコレ
決して間違ってはいない
だから私は行く!

物凄くシンプルなのです。
行く先の光が明らかに見えている人だからこそ出来る 成し得る事。
つき動かされているーといってもいいでしょう。
この方々なくしては 今の様な日本のフラメンコはなかったハズ。
身が引き締まります。
そして心から感謝します。

でもまだ続いてるんですね。
この先生方がいらして 中田佳代子さんも大沼由紀さんもいらして
そしてたくさんのアルティスタさん 新人公演に出演される様な方々や
あ~そしてこれからもつながって行って終わっていない。
壮大です。
目の前がクラクラする想いです。

大沼由紀さん
私達がいつもいつも葛藤してる『観るだけ聴くだけで本当に満足なのよん。
だけどもっともっと深いとこまで入り込んで行きたいの』
という想いの答えが少し見えました。
自分で自分にダメ出ししながらも踊りやカンテやパルマやカホンを練習したり
人様に少しばかり教えたり

それは フラメンコをより深く知る為に必要なんだ だからやってんだ。
当たり前の事なのに なんだかわかんなくなる時がある。
だけど少しすっきりしました。
苦しいけどもがく。
答えなんて出ないんだけど探す。
遠い所にあるけど手を伸ばす。
全て無駄じゃなく必要なんだ。
明日の私のフラメンコを支える小さな小さな力になるんだろうな。

中田佳代子さんの連載が終わってしまうのが淋しい。
今回も彼女の話に泣かされてしまいました。
本当に応援します。
怪我だけはしないでくださいませね。

堀越先生 濱田先生の連載がこれからも続いて行きます様に!
心から泣けるカンテも毎回ステキでした。

ぐらさんの新人公演レポート
凄く新鮮で好きでした。
主観が所どころにちりばめてあるのが好感なのです。
そのまま感じた事を 素直に書いて頂ける事がうれしいです。

1年間は あっという間。もう12回目なんて!
本当にこんな幼稚な文章に毎回コメントを付けて下さるしゃちょ様に
心から感謝しております。
ちぃーっとも私は文章力が上がりませんでしたが
なんとか最後まで辿り着く事が出来ました。
本当に 力不足でお役に立てず すみませんでした!
だけど 私のフラメンコ力はアップしたに違いない
と思いたい!

しゃちょ様
どうぞこれからもよろしくお願いします!
長い間 本当にありがとうございました!

やあ、shekere!
とりあえず1コンパス12回完走ありがとう!
毎回のコメント、ほんとうに励みになりました。

1984年創刊の27年前から、
「パセオフラメンコ編集長」というのは、
業界からボコボコにされる絶好のポジションにあります。

shekereの指摘にこうあるように、
フラメンコで生きるということは、
まさしくそういうことなのだと思います。

まるで結果はわからない。
しかし、自分を信じてみる。
フラメンコ、そして、フラメンコを愛する人々を信じてみる。

憂き世を忘れ、ひとときの夢に浸らせてくれる。
普通の人には出来ないことを、
代わりにやってくれるのが愛すべき芸人たちだ。

だから、そこに普通の人的な常識を求めるのは酷な話だよ。
彼らは皆、普通の人々の常識を絶する苛烈な競争世界に生きている。
いつの世も、そういう冒険に対するリスペクトがまったく不足している。

そして、マスコミは芸人のゴシップに食いつく。
普段は芸人の芸そのものにはまるで無関心なくせしやがって。
需要があるから仕方ない、のか?

でも、それだとまともな芸人はみな窒息してしまう。
そこを考慮しない垂れ流し報道には、もうさすがにウンザリだな。
贔屓のニュースキャスターまでその尻馬に乗っかってやがる。
しばらくニュース番組は観ないことにした。

その着眼の鋭さにちょっとびっくり。
どうやら奴は、過去の蓄積を咀嚼・活用しながら
もりもりと成長してゆける段階に入ったようだ。

知る人ぞ知る、三澤勝弘のシギリージャ独奏。
すでに三十年以上前から、
リカルドの弟子である彼のシギリージャは、
「藍より青く」を強烈に感じさせたものである。
だが、その真価を知る者は未だ少ない。

若い小倉が、そこに着目したことに新鮮な喜びがある。
私の原稿を1本ボツにして、これを5月号に載っけよう。
すでに私の屍は楽々と乗り超えられていた。 (汗)

★フラメンコギターコンサート
Manantial- アンダルシアに想いをはせて
(2020年12月2日/東京・市ケ谷・セルバンテス文化センター東京)

プーロ. !
ギター1挺で奏でるフラメンコはグワングワンと心を共振させてくれた。
三澤勝弘による、ファンダンゴとシギリージャ。
この日随一の聴きどころでもあった、土の匂い漂うプーロフラメンコ。
円熟のテクニックと枯れた音色。
例えるなら、艶やかで伸びやかなカンタオールの歌声が、
年嵩を増してだんだんと乾き、それが味と形容される様子。
その成熟した響きが独特であり、また贅沢にも感じる。
選んだギターの音色だと言ってしまうこともできるが、
やはり弾き手が持つその人ならではの音に聴こえるのが楽しい。
なにより、似合う。
ギタリストは皆、自分の愛する音を持っている。
これが三澤の選んだ音なのだ。
ニーニョ・リカルドのように、
弦がビヨンビヨンと唸りギター本体が振動しまくっているであろう音を、
どことなく連想してしまうのは僕の偏見だろうか。
CDでしか聴くことのできない先達たちの音と、
同じ匂い、同じ空気、同じ時代を見出してしまうことに、
不思議と感謝の気持ちがこみ上げてくる。
プーロは生きている。

鈴木尚が披露してくれたソレアとタンゴ。
ソレアでは、師事したマリオ・エスクデーロをはじめ、
多くの名人たちから拝借した、
多彩で複雑でいて懐かしさがあるファルセータを聴かせてくれた。
そこに自分で作ったファルセータも織り込んでいる。
曲を弾いた後に、そう解説をしてくれた。
「え、そんなことをしていいのかな」と思わず疑問に思ってしまったけれど、
「いいんです(笑)。フラメンコはこんなことじゃビクともしません」と仰る。
そうかもしれない、と思った。
でも、僕にはそこを言葉に表すことはできない。
オリジナルとは何か。プーロとは何かに似た、大き過ぎるテーマだからだ。
対して、タンゴの方は先進的な印象を受けた。
コンパスを感じながらも、拍の捉え方が大きいと言えばいいのだろうか、
息の長いファルセータや掻き鳴らしが面白かった。

高橋紀博のタンゴは、
こちらも一筋縄では弾けそうにない独特な演奏だった。
小原正裕とのデュオ「ナオ」でも、
どこかフラメンコ離れした音づかいという印象を受ける。
ひとつ引っ掛かったのが、小原がピックを使って弾いたこと。
保守的あるいは普通の見方をすれば、NGと言いたくなる。
弾き方も含めてフラメンコギターだからだ。
でも、文字通り目をつぶって聴いてみたら、どうなるか。
にわかには判別し難いけれど、やっぱりちょっとしんどい。
指で弾くフラメンコが聴きたい。
とはいえ、演奏自体は聴きごたえのあるプレイだった。
三澤と高橋による難しいリズムのタンギージョの後は、
全員でカンパニジェーロスを、アンコールではブレリアを弾いて締めくくった。

この日、最も心打たれたのは冒頭にある三澤のソロ2発である。
こんなプーロフラメンコを聴けたのは感激だ。
「あ、あのファルセータだ!」と、形式のど真ん中を行く演奏は、
いまでは逆に珍しくなってしまったのだろうか。
誰もが似たファルセータを弾くのはつまらないことなのかもしれないが、
なぜ形式特有の節回しが存在するのかを、
ちょっと頭の片隅に置いておきたいと思った。

ある日のエスペランサ木曜会。
いつものメンバーに加え、
フラメンコギターの内藤君がぶらっと遊びにきた。

内藤信(ないとう・まこと)。
2007年のフラメンコ協会新人公演、
ギター部門の奨励賞を受賞したツワモノである。
温厚・柔軟な性格に加えてかなりのイケメンだから、
女性にはモテモテであるにちがいない。

私 「エスペランサじゃよく弾くの?」
内藤「ええ、ときどき」
私 「何曜日あたりが多いの?」
内藤「うーん、金曜あたりかな」
私 「えーっ、そりゃもったいないよ~
ぜひ土曜日も弾いたらええよ。
ぜったい盛り上がるからさあ!」
内藤「えっ、どうしてですか?」

日曜日の早朝。 日刊パセオフラメンコの更新中、
右横に書かれたぐら(小倉泉弥)のツイッターで思い出した。
9時から『徹子の部屋』に続き、沖仁が『題名のない音楽会』に登場するのだ。
うっかり油断した。あぶねえ、あぶねえ。
やはり日刊パセオは毎朝チェックするよろし!

そして、興奮熱狂の30分。
いい番組だったねえ。
共演するピアニストは、アメリカのオバマ大統領夫妻も絶賛したという
ジャズ・ロックのエリック・ルイス.
立ったままペダルも使わない独特の演奏スタイル。
『我が心のジョージア』などをソロ演奏したが、
ストロング・スタイルのその両の小指の強さにびっくり。

一方のわれらがフラメンコギター沖仁は、
石塚隆充(カンテ)、伊集院史朗(バイレ)をパルメーロに、
『メルチョール』と『グリママ』を冴えまくりの力演。
エリックのソロ演奏中に、目を閉じてその音楽に没頭する沖の様子に、
私はパセオ10月号インタビューを想い出していた。
番組からライバルと規定されたその相手をリスペクトし、
その相手の音楽をも自ら演奏するエネルギーに変換してしまう姿勢。
連続するシビアな現場最前線にもひるむことなく、
沖はもりもり成長しつづけている。

ラストは沖とエリックのデュオで、
やはりと云うか、チック・コリア『スペイン』。
基本的にピアノとギターの相性は悪い(余韻を消し合ってしまう)のだが、
双方がプラスの機能を発揮できる方向で、短くセンス良くまとめた。

先日小倉が着目した三澤勝弘は古典フラメンコギターの王道を往く演奏だが、
近頃の沖仁はフラメンコギターの現在そして未来を切り拓く演奏だ。
どちらも正当に評価される時代が私たちの願い。
そういう光あるアルテを、いつまでも棚ボタ式に貰っているだけでは情けない。
どんなギブ&テイクが出来るかを、自ら考え行動する時代が来ている。

ワニのナニの粉末の効用がどーのこーのと、
地元仲良し連のとても活字にゃできねえエロ話の幕間に、
となりのアキラが、襟を正していきなりこう切り出す。
20ばかり年下だが、人格的には数ランク格上の彼である。

Ipodをもらった礼に、ロカメンコ有田圭輔の大ファンである
奴の代々木八幡の事務所に毎月パセオを送っているので、
折々その感想を聞かせてくれるのだ。

発信源はデザイナーのサトル、独身43歳。
ちなみに彼は、私には一票も入らなかった秀の常連女性軍による、
セクシーアンケート第一位に輝く超イケメン・サーファーである。

「やあ、これはこれはサトル氏。
久しくお目にかかることもなかったが、
変はらずご健勝にあられたか?」

「そう仰る小山氏も、相変はらずのご闊達。
光陰矢の如し。月日が経つのも早いもので、
昨晩以来の遭遇とあいなりますな」

「やあやあ、これはまたアキラ氏までもご来店か。
いや君、無沙汰は互いだ。
さあ今宵は、店の看板などお構ひなしで存分にやり給え」

しゃちょ日記バックナンバー/2010年12月②

富ヶ谷、幡ヶ谷、代々木上原、西原・・・。
まわりを谷やら原っぱやらに囲まれた、
元代々木町というところに暮らしている。
やたら坂の多い街なのだが、
私の棲家は谷底で、両隣りがコンビニと整体院、
斜め向かいがスーパーという、お店の多い下町風だ。

ある日曜日の昼下がり。
散歩に出掛けるかとジェーとマンションを出たところで、
ふたりの若い女性に声を掛けられる。

いつもの散歩コースだが、わかりづらい裏道なので、
雲照寺の坂の上がり口まで案内することにするが、
例によってジェーはあっちゃこっちゃでマーキング作業に多忙である。

先立っては「徹子の部屋」、
そしてこの日曜の「題名のない音楽会」では、
アメリカの人気ジャズロック・ピアニストと共演し、
うっとりするようなギタープレイを堪能させてくれたが、
明日の晩は、郷ひろみさんとのコラボレーションみたい!

郷ひろみと云えば、
私ソックリであることは周知の通りだ。
どこがソックリかと云えば、
な、なんと・・・年齢がウリふたつなんだな、これがあ!

鋭くエキサイティングに貫く芯。
優しく合わせるだけでなく、時に強く踏み込み引っ張る。
ジノキズムに触発されて、
郷さんが自発的に変化するのが明らかに視えた。

そうか、こうやるもんか!
あくまで媚びないフラメンコ・スピリット。
フラメンコの面目躍如だったねえ。

最近は挨拶ひとつできない人も多いけど、
実は挨拶みたいな自発的な愛敬って、ハレオみたいに重要。
だから、そういう愛敬をニュース(特に天気予報)なんかで耳にすると、
なんか心和むんだよね。
例えば・・・

ハロー、みなさんこんにちわあ!
訳あってアタシ、これから暴れることになりますけど、
いっつもごめんなさい。
どーか、あらかじめご注意くださいねっ!

やはり、ベルリン・フィルの動向はいつも気になる。
なんと、その栄光の首席コンサート・マスターの座に、
日本の樫本大進が団員投票によって選出されたというのだ。

ヴァイオリンの樫本大進(かしもと・だいしん/31歳)は、
世界で通用する大物中の大物ソリスト。
数年前にリリースされたプロコフィエフの二長調ソナタの、
そのギンギラギンかつ完璧なライブ録音に私はイチコロでやられた。
日本におけるプロモートはアントニオ・ガデスに同じく、
あのジャパン・アーツである。

いかに天下のベルリン・フィルとは云えども、
すでにその名を轟かせる天才ソリストがオケに所属することには
凡人には思いもつかない理由があったものと思われるが、
まあ、フルートのパユの成功例もあることだから、むしろ楽しみは多い。

さて、するってーと、来春のベルリン・フィルのスペイン公演で
『アランフェス協奏曲』を弾くことが予定されている
フラメンコギターの我らがマエストロ、カニサレスは、
サー・サイモン・ラトル指揮、樫本大進のコンマスで
演奏する可能性が出てきたということかっ!

カニサレスはスペイン人、
ラトルはイギリス人、
そして、大進は日本人。
それが西洋古典音楽のメッカ、ベルリンの超名門オケと共演するわけか。

シビれる話だねえ。
でも、これで驚いていちゃいけない。
フラメンコだって、こんな国際的キャスティングが普通になる日は、
そう遠くはないって私は思うから。

志風恭子のフラメンコ最前線で、つい先ほどそれを知る。
なくなったのは12月13日17時過ぎ。
67歳だった。

定年まであと四年。
ひとつ年長の、無頼時代の頼れる博打仲間であり、
孤独を愛す寂しがり屋なヤッコさんが、
ハワイに密着定住する日もそう遠くはなさそうだ。

さらに云うと、そこに座ってる奴は、
高く見積もっても980円ぐらいだ。
しかも、税込・送料込だと云う。(汗)

しゃちょ日記バックナンバー/2010年12月③

12/20発売の月刊パセオフラメンコ1月号。
A表紙および『フラメンコの光源』は、カンテのマイテ・マルティン!
湧きあがる情感を繊細な感性の糸で、
ひとつひとつ丁寧に織り込んでゆくマイテの歌は心のタペストリー。

B表紙および『心と技をつなぐもの』新連載第一回目は、
小島章司「永く深い呼吸」。
70を越えてなお現役で踊り続けるスーパーカリスマの秘密は、
「心と技をつなぐもの」と合致していた。
大森有起の迫真写真とともに、すでに各方面より絶賛!

硬派な人気連載、中谷伸一『フラメンコの美学』⑦は、
フェルナンド・デ・ラ・モレーナ。
“ブレリアの名手””コンパスの帝王”。
フラメンコの巣窟ヘレスの、さらに最深部サンティアーゴ街出身の
大カンタオール、いよいよの登場!

新連載「聞かせてよ、そのわけを!」。(隔々月連載)
しゃちょ対談、その初回ゲストは、
日本とスペインを行き来する若手超人気バイラオール三枝雄輔。
「ユースケがムイ・フラメンコなそのわけ」にガチンコで突っ込む。

新装『バル de ぱせお』には、マイミク・ユカリーヌが本格デビュー!
フラメンコのベストセラーが約束されつつある
「沖仁/ジノキズム」を徹底解説する。

つーことで、おもろくて肥やしになるパセオ創りのために、
ガチでホメたりケナす、キャッチボールは こつら まで。
いただいたご感想は無断で本誌に掲載したり、
日刊パセオやしゃちょ日記に戴っけることも普通なので、
又スペースの都合で一部カットさせて戴くこともあるので、
あらかじめ、そのつもりでよろしくねっ!

紫煙でむせ返るような狭い雀荘で、麻雀を打っている。
左右の打ち手に見覚えはない。
だが、対面には仲間の秋田がいる。

秋田とは絶対にバレない「通し(=サインで通じ合う)」で
ツルんでいるはずだ。
右手をアゴにやる仕草で秋田はテンパイを私に知らせ、
続いて地味なブロックサインで当たり牌を知らせてくる。
トップ賞のでかい麻雀なので、秋田にトップを取らせれば、
私が沈んでもトータルではかなり浮く状況。

大した手でない私は、オーラスを秋田に振り込むことに専念。
黙テンで待つ秋田に、何順か目で当たり牌九筒を振り込む。
そこで勝負を終え、私たちは別々に雀荘を出て、
幾駅か離れた根城とするレトロな喫茶店でおち会う。

すでに秋田は、大将格の福沢とビールをやりつつ碁を打っている。
例によって私は、看板娘のクミコを口説くがまるで相手にされない。
秋田が私に取り分を渡そうとするが、福沢が横からそれを取り上げる。
おそらく私は、福沢にだいぶ借金があるのだろう。
人のいい秋田が聖徳太子を一枚、苦笑しながら私に施す。
そこへ西野がやって来るのだが、なぜか血だらけで顔が蒼い。
奴はのちに将棋のプロ棋士になるはずだ。

「案内せえ」
おもむろに福沢が仕込杖を抜き、西野を促す。
やれやれと目を見合わせ、秋田と私がそれに続く。
店を出ると、すでに大勢のチンピラ風に囲まれている。
さあ、こうなりゃ逃げる一手で、
仕込をブン回す福沢先頭に手薄な右翼を強行突破し駆け抜ける。
鮮やかな夕焼けをバックに追手が迫るが、仲間はみな俊足ぞろいだ。
だが、シンガリの私がちっちゃなドブにはまってコケる。
あわっ、絶対絶命。

ドカン!
横のソファから眠る私の胸元めがけてジェーが飛び降りたらしい。
心臓バクバクで、このチンピラ物語のようなドジな悪夢から目覚める。
ピンチから逃れた安堵とともに、だが、不思議な懐かしさがこみあげる。

ただし、懐かしい青春みたいな、センチメンタルなそれではない。
生きることに安全などない。
そういう淡々たる現実を、いつまでも甘ちゃんな自分に
思い知らせるような寓話だった可能性が高い。

誰もやりたがらないフラメンコの公演レビュー。
そういう修羅場における ぐら (小倉泉弥)の展開には
実験連続小説のような面白みもある。

「 しなやかに、しとやかに。 」(by 小倉泉弥)

簡潔とは、つまりこういうことだ。
踊り手の北原志穂、カンテのアギラール・デ・ヘレス、ギターのファニ・デ・ラ・イスラ。
出演者は、3名だけ。
簡潔明瞭な舞台は最高にストイックだった。
しかしながら創造的な精神に充ち溢れ、
この公演を見ることのできた喜びと言ったらない。

北原の踊りは堂々として、
アーティストとしてトップクラスであることを教えてくれる。
なぜか。
踊りに踊らされていないからだ。
自分が踊りを支配している。
この自発的な精神はひとつ抜けたアーティストに観られる余裕であり、
懐の深さでもある。
だから、実はそう簡単にはお目にかかれない。

タンゴを踊っているときだった。
インドの音楽を連想させる衣装と振付で、
賛否両論あるのかなと思わせるものだった。
これは踏み込み過ぎでは……と思ったが、さてどうだろう。
一発勝負の踊りに付き物の悩みである。
音楽は新しければ新しいほど、咀嚼に時間がかかることがある。
何度も味わって、「あぁ、これは素晴らしいものだ」と理解するのはざらだ。
しかし公演は何度も味わうチャンスが無い。
だからこそ初見で適切な判断をするのが僕の使命であると思うが、
それが難しいこともある。
まぁ、でも、わからないときはわからないと書こう。
そんな風にも思っていた。
ところが、だ。
この迷いは不思議と消し去られていった。
だから僕は、彼女のこの試みは大正解だったと判断する。
勇気を持って踏み込んで、完全に振り切った。
その結果、感動を残してくれたからだ。

北原の踊りは、
えも言われぬ官能さと落ち着きと柔らかさと耳当たりの良さがあった。
舞台から得られる何とも言えぬ一体感は、
恐らく3人の高度な演奏技術が適度な緊張感のもと、
ちょうど釣り合っていたからではないかと予測する。
ファルセータも創意工夫に溢れていて、楽しくて仕方ない。

確実に新しいことをいくつも試みているのに、
こんなにもしっかり受け手に納得させるのには理由があると思う。
やっぱりフラメンコの匂いがぷんぷんするのだ。
きっと、もっとプーロなことをやろうと思えば可能なんだろうと感じさせる。
連綿と受け継がれ、培われてきた技術や精神を地続きで継承し、
その上で観たことの無い花を咲かせている。

最後に、興味深かった点を。
クラシックを聴くと大らかな安らぎを受けることがあるが、
それと似た波長を感じたのは僕の気のせいだろうか。
フラメンコでは珍しいタイプのリラックスではないか。
極めて上品だと思う。
足るを知り、襟元を正しつつも、ちょっとユーモアもある。
危機迫る鋭さにも観る者を惹きつけ魂を揺さぶる力があるけれど、
もっともっと大きな包容力を持って鷹揚に構えられると、
逆に畏れ多くて立ちつくしてしまう。
もしかすると、これが小島章司の血なのか。

もう一度拝見せねばならぬと感じている。
ゆらり揺れながら、折れることはないだろう。
エバ・ジェルバブエナが「フラメンコ・ウーマン」で、
一瞬だけクルリと回転したシーンを思い出した。
この筋である。

「心と技をつなぐもの」「しゃちょ対談/聞かせてよ、そのわけを!」
「大沼由紀の心を身体をつなぐ素」という新連載は、
すべてパセオ初の踏み込みだったのだけど、
ウケるウケないは別にして、
チャレンジ前に課したイメージだけは超えられたように思う。

まず、定期購読プレゼントのヨランダさんの新作手ぬぐい♡ 嬉しいですね!
薔薇色の衣装に涙の青が効いています。
「辛いのはのぼっているからだっ!」というメッセージに、
ようし、私も! という気持ちになりました。

「心と技をつなぐもの」小島章司先生の言葉、一番に、じっくり読みました。
ひとり語りの形が良いです。
昨年の「フラメンコ力アップ!」のインタビュー形式では、
対話の中から何が飛び出してくるかわからないスリルが魅力でした。
それに対して、こちらは、アーティストの世界観、
小島先生の場合は宇宙観といった方がよいかも知れませんが、
その中に入り込んで浮遊しているかのような味わいがあります。
ひとことずつ言葉を選びながら自分に言い含めているのは、
小島先生ご自身のはずなのに、
あたかも、私自身の思いのように重なって響いてくるのです。

大森有起さんの写真も、小島先生の魅力をストレートに力強く伝えてくれます。
曇りのない純粋な眼差しはまるで少年のようです。
半世紀もの間、ストレッチ等のトレーニングを日課としてきたという重みは、
完璧なスプリッツ(前後開脚)で一目瞭然です。
凄さというより、ある種の悟りが伝わって来るのです。
無駄な贅肉のないスレンダーな身体からは、
踊りのためにたくさんのことを犠牲にしてこられながらも、
犠牲とは決して思われていない潔さを感じます。

「伸びしろ」という言葉が、心に残っています。
「より遠くをつかむ」スケール感。
B04の無心の表情に、この方の「伸びしろ」の先には
人間を超越した宇宙が広がっているような気がしてなりません。
「焦る必要はないよ。死ぬまで続けることなんだから。」
という言葉に勇気をもらいました。
小島先生がおっしゃるからこそ説得力があるのです。

高齢の方に敬意を払うつもりで、よく「その年齢に見えない」
という表現をしますが、違うと思います。
それは、年月とともに稀有の努力で積み重ねたものの必然に他ならないのです。
昨年、私も「デスヌード3」を観て、
このような感想を持っていましたが、確信となりました。

大沼由紀さんの、気取りのない詩的な文章とイラスト、とても素敵です。
じんと心に響いてきました。楽しみな連載がまた増えました。
ここでも「呼吸」が出てきて興味深かったです。

「聞かせてよ、そのわけを!」こちらは即興的な言葉のやり取りが、
面白さとなっているのですね。
またまた「呼吸」が出ていましたね。「メンバー全員が同じ呼吸で出来た時」の
最高の臨場感が伝わってくるワクワクするようなインタビューでした。
彼のとつとつとした語り口には、若さゆえの発展途上の未熟さが現れていました。
これこそが小島先生いうところの「伸びしろ」なのだなと思い当たりました。

「心から泣けるフラメンコ」。エンリケ坂井氏のラ・トレアに対する想いが、
密かに一番ぐっときました。
いつもは伴奏者として踊り手の背中を押す役割に徹するのに、
たった一度だけ、ドゥエンデに触れた経験。
「天然の美」「この世の最も純粋な美しさ」とは、
潔く、はかないものだからこそ、一生忘れ得ぬものになるのでしょう。
ふと思い出して、2010年9月号のエンリケ氏のインタビューを
読み返してみたのですが、
ラ・トレアのことには触れていなかったのです。
本当に大事にしているものは、心の奥にしまっていて、
簡単には口に出せないものなのだなと、
少し切ない気持ちになりました。

一年間、化学反応を書き終え、気持ちの上で一段落してしまっていました。
でも、新年号を読んでみて、改めてフラメンコへの想いが
残っていることに気付きます。
諸事情で、フラメンコ再開には至りませんが、
だからこそ、細い絆を、パセオを読み感想を書くことで大事にしたいと思います。
いつかは再会を果たしたい大切な人へ年賀状を出すような気持ちで、
この一年も私なりの感想を綴ってまいります。
よろしくお願いいたします。

しゃちょ日記バックナンバー/2010年12月④

パセオ新年号について、サミーからの投稿

☆ ベスト1 ☆
フラメンコの美学『麦刈労働唄』
vol.7 フェルナンド・デ・ラ・モレーナ

冒頭の写真とタイトルで、
9割がたやられてしまいました。
内容は想像どおりの展開ですが、
肉声を伝えるための鍵カッコの中のセリフに
心を持っていかれます。
「~のさ」、「~だぜ」、「~やがる」
なんて言い回しが視覚でなく聴覚で分かる。
声が聞こえてくる。
「俺は古いカンテと死んでゆく」。
似たような覚悟を吐く大人を
これまでたくさん見てきましたが、
9割がたケツをまくります。
フェルナンドはきっと、
軽やかにそうするでしょう。
ヒターノでプーロなんですから。

☆ ベスト2 ☆
Flamenco 心と技をつなぐもの①
小島章司「永く深い呼吸」

正直、こちらがベスト1でもいいんです。
読後には清涼感で心が泡だち、
やがて自分の未熟さにうなだれるといった具合。
皆さんも、なるほど素晴らしいと感じるはず。
しかし、しかしです、これを分かってはマズイ。
まだ分かってはマズイ。
分かったつもりはもっとマズイ。
脳みそというのはやっかいです。
小島さんと同じレベルに
いるような錯覚をしてしまいます。
戒めをこめてのベスト2。
まずは実践あるのみです。永く深い呼吸。
あ~、もっと書いてしまいたい。
詳しくは新年号で。

☆ ベスト3 ☆
「失敗はフラメンコの素」
~貧乳は世界を救う~

〈乳〉というのに吸い付いてしまうのが
男子の性でございまして、それが文字であろうが
肉体の一部であろうが違いなどありません。
今回は(神戸市・ちいちゃん/年齢ひみつ)さんの
投稿、そのタイトルに吸いよせられたワケです。
彼女の身に起きたことは、ひどく切実な問題です。
そして、彼女を救ったのは、自身のがんばりと
周囲の励ましはもちろん、フラメンコの
おおらかさにもあったようです。
いわゆる型に心血をそそぐ日本の芸事では、
同じ結果にならなかったように思います。
彼女がフラメンコの先生にかけてもらった言葉は、
上記ベスト1、2で取りあげた二人も
「そーゆーことだぜ」、「本質かもしれないな」と
うなずいてくれるに違いありません。
皆さんもぜひご一読を。

例によって地元へべれけドンチャン騒ぎの最中、
なんか書いてくれよ~、たくあん二枚やっからさ~
って何度も奴にからんだ成果がこれである。

「マイ・ベスト3」
なるほど、こういう切り口があったか。
このアプローチなら素直にポンと、
本音の感想をもらしてもらいやすいかも!
ちょっと重たいのでパスという方は、
ぜひこのパターンでチャレンジしてみてねっ!

第29回 岡田昌巳スペインを踊る
2020年12月23日(昼夜2回公演)/池袋・東京芸術劇場・中ホール

若い頃に頭で想像したのとは違う体力の衰えを実感する50代半ばの私は、
日常業務に埋没しながらも、それでも、残る命をまっとうするには
どう在ればよいかと、ヘボはヘボなりの回答の充実を求め続ける。

ベテランの公演に通う機会が増えたのも、
同世代や先輩世代のそこでの在り様というのは
リアルな刺激となり得るケースが多いからだ。
ジャンル問わずで出掛けるけれど、
中でもフラメンコから与えられるヒントが突出しているのは、
それが人間の生理に最も近いアートだからだろう。

前回『スペイン交響曲』をクラシコで踊った岡田昌己の在り様は、
そんな私にとってまさしくドンピシャの快感だった。
そこには、若い頃の焦燥とはまるで異なる老いの焦燥に対応する、
ひとつの極めて明快なイメージがあった。
その核心たるものが「老成」ではなく「華」であることの意外さが、
実に痛快だったのである。

何事においても万年素人の私であるが、
せめて生きるヴィジョンくらいは闊達でありたい。
プロフェッショナルの権化たるこの生粋の舞台人から得たヒントは、
私の日常生活に骨太な軌道を照らし始めたのだった。

さて、特に表題を持たない今回の第29回「岡田昌己スペインを踊る」は、
贅を尽くした三部構成。
第一部は、岡田昌己スペイン舞踊団が
『混迷~何処へ行こうとしているのだろう』という現代的テーマを、
定評あるクオリティを軸に見応え充分のアンサンブルで踊る。
現代音楽とシギリージャのリズムの対比の中に
「救いがないことの中の救い」が見え隠れしている。
ラストにはより強烈な完結性が欲しかったが、演出振付の岡田は、
フラメンコではなくクラシコ・エスパニョールの表現に徹したのだろう。

第二部はスペイン童話からの創作『一輪のマルガリータ』。
老母を演じ踊る岡田の新境地の、活発な両楽章に挟まれる
ゆるやかなラルゴのような心地よい響きが、私にはとても好ましかった。
名手染谷ひろしのギターも久々に堪能。
公演全体は休憩なしで通されたが、各楽章の合間に、
せっかくの深く豊かな余韻を味わい咀嚼できる時間が欲しいと感じる。

第三部はソロ中心の『フラメンコの粋』。
前回も客席を沸かせたダヴィ・ペレスの、
新旧のエッセンスが粋にブレイクするタンゴスが実に好印象。
同じくアレグリアスのシレンシオで、ヴァイオリン(三木重人)との
美しいシンクロぶりには思わず身を乗り出す。
連続する超絶技巧が程よく削げた時、ムルシアのコンクールで
金賞を受賞したこのバイラオールは大化けするんじゃないかと思う。
ラストは全員による「クリスマスのお祭り」で、
岡田をセンターに据えて華やかに大団円。

前回第28回がストレートな二本立てであるの対し、
今回第29回はより趣向を凝らした三本立て。
いずれについても、岡田昌己の踊りの中に私は、視るべきものを観た。

エスプリが光り飛び散るようなキメ振り、優美を極めるアバニコの舞い、
心根を歌う流麗なカスタネット。シギリージャにおける、
苦難を知り尽くした人々の傷口を癒すかのようなペソ(重み)。
そして、彼女が空間をふわっとつかむと、
その瞬間明るい金色の大輪がパッと花咲くような、あの魔法のような感触。
純白衣裳のフィナーレでは、椅子に腰掛けつの座り舞いで、
出演者全員を己のオーラで輝かせる。

そのひと振りからは華々しいグラシアがこぼれんばかりに発散される。
その灯りには、道に迷う人々に歩むべき道を優しく照らすような温かみがある。
堂々と座り舞うそんな光景から、舞台演出の傍ら車椅子で踊る
ずっと未来の岡田昌己を不謹慎にも私は連想した。
命ある限り彼女は、そういう光あるアルテを発し続ける舞踊家だと確信したから。
次回は節目の30回。きっとまた私は、視るべきものを観るだろう。

空いた時間帯の今朝の小田急線。
珍しく私は座席に腰掛け、新年会用にIpodで
カラオケの歌詞(シルエット・ロマンス)をおさらいしている。

揺れの多い終点・新宿の地下駅が近づき、
右隣りが忙しそうにバタバタしてることに気づく。
ふと見ると、マスクをかけた可愛らしいおばあちゃんが、
座席から立ち上がろうとするたびに、電車の揺れで、
ふたたび座席に腰掛ける動作を繰り返している。
ほとんどトランポリン状態なのが新鮮だし、また見事である。

何度か目に、立ち上がった彼女の背中を右後方から私は支え、
どうやら彼女は着地に成功した。
こっちを向いて、眼鏡の奥のつぶらな瞳でニッコリ笑いながら、
マスクの下から何か云ったようだが、イヤホンの私には聞こえない。

「あんちゃん、ありがとよ」なのか、それとも、
「あんちゃん、そりゃセクハラだよ」だったのかは不明だが、
軽く頭を下げながら、威勢よく彼女は戸口を飛び出していった。

点と点がつながって
線になり
円になり
そして 球になっていく

中心に向えば
向うほど
外にも広がっていく

そんな不思議
味わったことが
あるだろうか?

まるで
反対と
感じていた物が
同じだった。。。と
感じたことが
あるだろうか?

この詩の作者は、バイレとカンテを勉強するピアニスト。
数年前のCDリリース記念コンサートのチラシに載った作品で、
たまたま目にしたその短文は、妙に私の心に引っ掛かりを残した。

外側にアピールするのではなく、内側に踏み込んでゆく。
それでこそ味わうべき共感は生まれる。
でも、あの頃の私はそういう感覚を持ってはいなかった。
この一年間、連載執筆(12の視点)に熱中したプロセスが、
ようやくこの詩を味わう感覚を開発してくれたのかもしれない。

そのピアニストとは、この秋のフラメンコ公演についての
ツイッターのやりとりが縁で一杯やったのだが、
それから数日後、その呑み会のお礼にと、
この詩と、それに基づく自作自演のピアノソロ映像を、
ご自身のブログにアップしてくれた。
ほの暗くしかし温かなその響きは、私の愛する東欧の作曲家、
アレクサンドル・タンスマン(『カヴァティーナ組曲』が有名)のような、
人々に故郷を想起させるような懐かしい薫りに充ちていた。

ところで、その突発的な呑み会。
高田馬場改札の初対面待ち合わせは意外にも難航した。
目印にグランドピアノを担いできてね! という私の提案は採用されず、
また先方もひたすらキアヌ・リーブスを探していたというのでは、
まるでお話にならないのであった。

だが、老いたりとは云えども、やはり人生は素晴らしい。
ついこないだなども、生涯忘れ得ぬ感動の慶事があった。
そのあと例によって凶事が続いたが、この12月は今日まで3勝26敗だ。
こんなに高い勝率なんて何十年ぶりだろう!

地元行きつけ秀で人気の明るいチョー美女ユキちゃん。
しょっちゅう中国や韓国に仕入れに出掛ける、
ファッション関連のキャリアだ。
決して弱音を吐かないタフガイなのだが、
今回はよっぽど大変な目に遭ったのだろう。

貿易関連のイベントで、幕張メッセにもよく出掛けるらしい。
「これから幕張メッセに向かいます!」
ある日、こんな彼女のツイッターを見つけた私は、即こう打ち込む。

彼女はどうやら、このよーな高尚なやりとりには免疫がないみたいで、
その晩の秀ではこのネタのみに集中し、何度も反芻しながら爆笑する。
「どん引きだよ小山さ~ん、ぎゃっはっは!」と何度も何度もリピートする。
こんな阿呆ネタひとつで1時間以上笑い転げられる能力は、
いまどき実に希少だ。
ただ冷静に俯瞰すると、どん引きしたのは当然私のほうである。(汗)

今宵はそーゆー壊れた地元なかよし連が大集合する、秀の大忘年会。
生きてるだけでもマグレみたいな連中が、
この一年の互いの奇跡のご無事を、もろ手をあげて祝福し合うのである。

まったくもって一年が早い。
創刊以来、パセオ台所事情の悲惨さに変わりはないが、
この一年は久々の編集長稼業がやたらおもろかったので、
浦島状態に拍車がかかったのかもしれない。

今日は本年ラストの日だが、それなりに忙しいので、
エネルギー充電のため、好物のとろろ飯を朝からガッツリ食う。
ふだんは出汁と白醤油で山芋を味付けするのだが、
今回は気分を変えて味噌味にしてみた。

「おお、ミソか!」

しゃちょ日記バックナンバー/2010年11月①

先週土曜は、写真家・大森有起と新連載の最終詰め作業。
私の希望をはるかに上回る、
怖いくらいのクオリティの写真をめぐり、徹底協議を3時間半。

そのあと駆け足で、銀座にある石井智子フラメンコスタジオへ。
そう。
ディエコ・カラスコとモライートという両カリスマの取材である。

「目には目を、怪物には怪物を」
その取材の書き手には、堀越千秋画伯をブツけた。
画伯はこの豪華公演の舞台美術も担当するのだ。
画伯に対し私は、いつものように綿密詳細な注文をお願いする。
「好きなよーにやってね」。

「よかったら、リハ観ていってくださいね」
という、智ピーのご好意に甘える。
真正面から、あのディエゴ・カラスコとモライートの
ノーマイクの生音で、フラメンコギターの魔法を喰らう。

本日火曜日は午後から、2月号「心と技をつなぐもの」の写真取材。
第一回目(小島章司)から、いきなりハジけた写真家・大森有起。
ゲストの鈴木眞澄にいかなるアプローチをかけるのか?
撮影後は呑み屋で、研修参加のライターぐら(小倉泉弥)を交え、
来年の協会新人公演の特集(全34ページ)企画ブレスト。

明日水曜は、浅草で奥濱春彦の初リサイタル。
11月号「フラメンコ力アップ」でも本領発揮した彼は、
いかなる方向に炸裂するのか?
公演忘備録(2月号)はぐらの担当予定だが、
当日来場するという当欄でもおなじみの”みゅしゃ”、
加えて私の三人で、それぞれ書こうなんて話もある。

あさって木曜は、高円寺エスペランサの木曜会。
もう20年以上も続く業界なかよし呑み会だ。
今回は7月号取材(座長の本間三郎)も兼ねているので、
いつものようにヘベレケでクダを巻いてる場合でもない。
ちなみに夏の新人公演でスパークした奨励賞受賞バイラオーラ本間静香は、
本間三郎師(=日本のフラメンコ界の初代スター)の長女である。

そして金曜はお待ちかね、借金してでも観なせーよ的公演。
フラメンコの魔術師ディエゴ・カラスコとモライートが共演する
石井智子リサイタルだ。
2010年最大のフラメンコ・イベントである。
木曜会が朝帰りなら、じっと昼寝でコンディション調整の予定。

土曜日は、3月号「フラメンコ力アップ特別番外編」に登場する
フラメンコギターのマエストロ、カニサレスの最終原稿チェック。
今年秋にはソニーから新譜をリリース、
来春にはあのラトル指揮ベルリン・フィルで『アランフェス』を弾く
絶好調のカニサレスのインタビューはめっちゃおもろいぞ。

母はカンタオーラの鈴木高子さん、
長男はバイラオール三枝雄輔さん、
長女はバイラオーラ三枝麻衣さん。
親子三代のフラメンコ一家の家長的存在だ。

写真家・大森有起とライター・小倉泉弥(ぐら)とともに、
彼女の東高円寺スタジオ”マジョール”に乗り込み、
野外ロケとスタジオ撮影をみっちり三時間半。

私の原稿はすでにアップしており、
その原稿からのインスピレーションで大森が自由に撮りまくる、
というのが今回のアプローチ。
「ライター・しゃちょ × 写真家・大森有起」という、
ほぼ五分五分の力関係のコラボなのだ。

ちなみに次回は「ライター・小倉泉弥 × 写真家・大森有起」という
ユニットで、人気カンタオール・石塚隆充に迫ることになってる。
その後もバイラオール佐藤浩希(しゃちょ担当)、
バイラオーラ・松丸百合(ぐら担当)、
バイラオーラ・入交恒子(しゃちょ担当)と、
豪華ランナップが続くが、ぐらとの交互取材なので私は少し楽が出来る。

その余暇を利用してスタートするのが
「しゃちょ対談/聞かせてよ、そのわけを!」。
三ヶ月にいっぺんのペースだが、
写真家・北澤壯太と私のコラボで、
新旧の注目アーティストにアプローチする。
ちなみに新年号はバイラオール・三枝雄輔、
4月号はカンタオーラ&バイラオーラ・今枝友加が登場する。

さて、きのうの撮影後、大森・ぐらと私の三人で、
東高円寺の呑み屋を二軒ハシゴした。
呑めや語れやの大宴会である。
来年12月号の協会新人公演大特集(全34ページ)の
企画ブレストに始まり、議論のテーマは各方面に及ぶ。

大森の鋭い問題提起によって、
ガチンコ討論会は実りあるクライマックスに達するわけだが、
その実りある豊かな内容を、
何ひとつとして憶えていないところが、
昨日とゆー日の唯一の汚点である。

★奥濱春彦リサイタル/FLAMENCO EN RUEDA
2020年11月3日/東京・浅草公会堂

オール日本人キャスト。
だが、ああ、ここでスペイン人のカンテやギターが欲しい!
と願った瞬間は一度もなかった。
カンテは阿部真と高橋愛夜、ギターは松村哲司。
千人収容を越える大ホールの公演で、そういう感想を持てたことがうれしい。

舞踊団によるオープニング群舞は、
颯爽としたクオリティで一気に客席の期待感を高めたが、
そのクオリティが最後まで持続できなかったのは残念。
ただ、ひとり突出した舞踊手がいて、
派手さはないが自然で凛々しい表現に私の目は釘付けになった。

今年38歳となる注目の奥濱春彦のバイレ・ソロは、
マルティネーテとカンティーニャス。
例によって胸のすくようなステージング。
ほとんどパーフェクトに音楽と一体化し、
スタイリッシュな洗練と堂々たるペソ(重み)を高次元で掛け合わせ、
粋で明るい存在感をスパークさせるところに彼の本領がある。
何の躊躇もなく、そうすることが当たり前であるかのように、
これだけ粋にイナセに大見栄を切れる舞踊家は、スペインにも稀有だ。
日本の伝統芸能とフラメンコの美学を、極めて深い裏付けをもって融合し、
自らそれを体現する本格硬派バイラオール。
フィジカルな快感と深い味わいが客席に幸福な観後感を残し、
いつまでもあとを引く、その華の味わい。
そういうソロをもうあと1、2曲観たいと、正直思った。

ただし今回、これも彼の本領であるはずの舞台演出面の冴えは50点。
素材をより引き出すための削ぎ込みを舞台全体に徹底すれば、
少なくとも90点は行けたのではないかというのが火星人(私)の勝手な妄想。

華のバイラオーラ鈴木眞澄のバクダン下ネタに、
おやぢたちが大ゴケした木曜会から未明に帰宅し、
がっつり爆睡、先ほど起床。

歯みがきしながら鏡を見たら、
いい歳こいたおっちゃんがこちらを見ている。
いや、実際オレも老けたもんだと思う。

つい数年前の私が、イケメンだけが取り柄の
キアヌ・リーブスそっくりさんだったなんて、
まるで嘘のような話にも思えてくる。
ま、実際大ウソだし。

そして、今日はいよいよ、
まるで嘘みたいなコンサートに出掛ける。
あのディエゴ・カラスコとモライートが共演する、
本年最大のフラメンコ・イベント『 石井智子スペイン舞踊団公演/魔法 』。
舞台美術は堀越千秋画伯である。

私はまだかかったまんまだ。
いち早く魔法から目覚めた”ぐら”が、
きのうの夜中に仕上げたフラメンコ公演忘備録(↓)

★石井智子スペイン舞踊団公演 MAGIA‐魔法(マヒア)‐
2020年11月5日/東京・五反田・ゆうぽうとホール

強烈過ぎた。
へレスのフラメンコ。
対等に渡り合う石井智子。
溢れ出る充実さが僕の受け取り能力を大幅に超えてしまい、
この忘備録を書くために真っ白になった頭を
なんとか正常に戻そうと必死になった。

仄暗い明りの中、ディエゴ・カラスコのギターに、
石井が舞う「プロローグ アポカリプシス‐啓示‐」。
舞台中央に倒れ込むような姿で佇み、やがて羽ばたくように立ち上がる。
しなやかで美しい。
柔らかい動きが線の細い両腕をさらに細く伸びやかに見せ、
開始数分でこのコンサートが”成功”であることを予感させる。
脇を固めるのはバイオリンの平松加奈とパーカッションの海沼正利。
肌がヒリヒリするであろう緊張感の中、隙の無いサポートをする。
踊りに物語を感じさせるのが興味深く、
なんだろうなんだろうと気持ちが前屈みになっていった。
多分この辺りからすでに魔法がかかっていたはずである。
プログラムには次の曲からが「第一の魔法」と書いてあるが、
とっくに夢見心地になっていたからだ。
今、書きながら、そんな気がしてならない。

濃密な滑り出しの後、
ディエゴが座っていたはずの椅子にモライート・チコがいる。
確かに暗転したが、入れ替わりがわからなかった。
1曲目の余韻に浸ってしまったからかもしれない。
正真正銘、へレスのブレリアが炸裂する。
モデルノとは一線を画するストイックなファルセータ。
発音が明瞭で聴き取りやすい。
激しい熱情が収まりきらぬ。
これがへレスか!
クラクラしてきた。

「第一の魔法 調和」はこのブレリア、
群舞のアバンドラオス、ソレアから成る。
単なる見識不足だろうが、
僕は群舞がこんなに魅力あるものだとは知らなかった。
とにかく楽しい。
もっと観たい。
速い流れの中にもゆるりとした手の動き、体のしなりが統一されており、
爽やかな女性らしさで溌剌と表現されている。
次にアルフレッド・ラゴスのギターソロ、ロンデーニャが挟まれる。
極めて正統派の逸品で、
知る由もない遥か遠くスペインの山々の頂きが幻想的に浮かんでくる。
心躍らせていると、ダビ・ラゴスの歌声と息の合ったソレアが始まった。
魂を絞り出し、声を絞り出し、アルテを絞り出すソレアに感動する。

「第二の魔法 魂」はシギリージャとコンパス。
夕暮れ時の空を見上げると、
滲むような太陽と深い青さを残す星空との、
境界線の曖昧なグラデーションが目に映る。
第一の魔法から第二の魔法への流れも、そんな自然さだった。
深く内省的なシギリージャ。
パリージョ(カスタネット)の乾いた掻き鳴らしが切実に響く。
聴く者の心に鋭角的に刺さる音は、むせび泣いた涙の代弁に思えてくる。

ひとしきり頬を濡らした後は、ディエゴのコンパスが受け止めてくれる。
揺り籠のようなフラメンコは円を描くように精神を包み込んでくれ、
意識が遠のいていくような安らぎをもたらしてくれる。
なんなんだろう、この心地よさは。
形式を超越してしまった、フラメンコ。
愛か? これは。
捉えようとするのは適切でない気がする。
そのまま感じれば、それでよいのではないか。
ただただ優しい。

心の睡眠が満たされてきた頃、「第三の魔法 輝き」が始まる。
群舞と石井のソロが交互に織り成されるアレグリアス。
美しく、楽しく、華やかで、眩しい。
とりわけ、石井の踊りはキレていた。
自信に溢れ、内面が充実し、颯爽と踊り抜ける。
この日一番の輝かしい一振りではなかっただろうか。
クライマックスに相応しい盛り上がり方で、最高の気分になった。
金色に輝く舞台デザインも、
青空のような照明をバックに気分を盛り立ててくれていた。

パァッと全体が明るくなり、魔法の終わりを告げようとしている。
全員が出てくる最後のアラヘアだ。
ルンバのノリで軽快に歌い、踊る。
まだ終わってほしくない。
まだ観ていたい。
魔法は解けてしまうのか。
くだけた表情でディエゴが遅れて踊りにやってくる。
なぜだか、とてもホッとする。
誰もが柔和な笑顔に見える。
緞帳が降りて90分の魔法が終わった後、
再び幕を上げてフィエスタで心を軽く洗い流してくれた。
もう起きなきゃいけない時間だ。

呆然と会場を出てしばらくしてからだったか。
「ありがとう」と思った。
月並みな言い方になるけれど、
この魔法はフラメンコを信じる限り続いていくような気もしている。

この水曜祭日、浅草の奥濱春彦リサイタルがハネてから、
マイミク”ぐら”と”みゅしゃ”を誘い、
江戸っ子の誇り”藪”で、天ぷらで軽く呑んで蕎麦をたぐった。

翌朝、習慣的に私はその忘備録をmixiや日刊パセオフラメンコにアップし、
さらに翌日ぐらがmixiにアップし、さらにその翌日みゅしゃがアップした。
人間が軽薄な順番に書き上げる現象は、フラメンコではふつーのことである。

奥濱春彦リサイタルに対するそれら三つの忘備録は、
現在日刊パセオフラメンコ 公演忘備録 にトップ・アップしてあるが、
くやしいことに、チョー新人みゅしゃの読後感がいちばんいい。

元新人ぐらは、この20日発売の月刊パセオ12月号「新人公演特集・全8頁」を担当。
みゅしゃは来年3月号で本誌デビューの予定だったが、それに先んじて、
この三人の忘備録はそろって来年2月号に登場することになる。

★みゅしゃ
「個人的な主観しか書けていない感想文レベルです。
相対的な評価、フラメンコの専門的な視点はまったく欠落しています。」

★私
「そこはまったく求めていません。
深めていってほしいのは、
パセオ感想文におけるような『みゅしゃの視点』です。
云い換えれば、それは『気づきの視点』。
あくまでみゅしゃという人間の感性と姿勢が前提となりますが、
その視点に立脚することを忘れなければ、
この先立ちはだかるであろうさまざまな壁は、
必ず超えられることは保証できます。」

上から目線の鼻持ちならない知ったかぶり評を、
ついうっかり書きそうになってしまう私は、
自分に云い聞かせるつもりで、みゅしゃにそう返信した。

しゃちょ日記バックナンバー/2010年11月②

相手の得意戦法を堂々と受けて立つ。
いやむしろ、対戦相手のフィールドに、
嬉々として、自ら踏み込んでゆく在り方。

羽生善治名人が、
長期にわたり将棋界の最高峰であり続ける
最大の理由はそこにある。

「ソレア」は堂々たる格調の「矢倉戦」をほうふつとさせるし、
「アレグリアス」の明るい華は「ゴキゲン中飛車」のようだし、
「ブレリア」の即興性は「急戦石田流」を思い起こさせる。

それぞれのコンパスはシンプルにして厳格なのだが、
演者や対局者の個性によって、
まるで異なるアイレが出てくるところもなんかもそっくりだ。

将棋を知っておよそ50年、
フラメンコを知っておよそ40年。
飽きっぽい私が、永らくそれらに惹かれ続ける理由の共通項は、
どうやらそこら辺にありそうだ。

ところで、自慢じゃないが、おそらく私は、
世界中のフラメンコファンの中でもっとも将棋が強い男だ。
そして同時に、世界中の将棋ファンの中で
もっともキアヌそっくりなアフィシオナードじゃあ!

ある古楽の演奏会の帰り、ホールを出たところで、
しばらくぶりでHと顔を合わせた。
彼とはちょっとした行き違いがあって、
しばらくご無沙汰になっていた。

ビールのあとに、私はぬる燗を頼んだ。
おれも同じにする、と笑う奴の表情はやさしかった。
なんだか、わだかまりを吸いとるような微笑みだった。

その制作記者会見の通知を受け、11月9日昼、芝のプリンスホテルに飛ぶ。
ゾロの坂本昌行を筆頭に、日本人出演者総勢21名が会見に臨む。
報道陣も100名以上詰めかけたが、
一般オーディエンスからも300名招待ということで、
会場は開始前から異様な盛り上がり。

俳優たちのフラメンコ基礎トレの指導にあたる
ベテテン・バイラオーラの大塚千津子さんに会場入口でばったり。
夏の新人公演で鋭い存在感を印象させたバイレの大野環さんが
キャスト入りしていたことにうれしい驚き。

舞台ゾロの海外映像、メインキャスト八名の抱負、
そして劇中シーンをライブで3曲披露。
演奏陣にはおなじみギターの矢木一好さんも参加していた。
そしておしまいはマスコミとの質疑応答。

「芸能界でフラメンコと云えば、
同じ事務所の今井翼さんが有名ですけど、
そのフラメンコのライバルに対して、ひと言お願いします」

「チクショー、おれも出たかった! って、
ライバルに嫉妬してもらえるような舞台に必ずします」

フラメンコの難しさという質問に対しては、
「形だけマネても、フラメンコにならないことを知りました」。
邦人ゾロのオールマイティゆえの卓見が、妙にうれしかった。

ある日、みゅしゃの日記を見ると、
「パセオと私の化学反応」のバックナンバー(11号分)がアップされている。
http://mixi.jp/list_diary.pl?id=6763710&from=navi
無駄な私のコメントさえ添付されてなければ、
あらゆるフラメンコファンが読むに値する深い味わいの内容である。

真摯でしなやかな資質と深い読み込みを特徴とするみゅしゃ。
彼女に代表されるフラメンコファンたちの
「フラメンコとパセオと私の化学反応」は、
パセオ編集部にも新鮮にして濃厚な化学反応を発生させ、
それらは自然と、執筆者やアーティスト・関係者たちにも波紋してゆく。
やがて化学反応の相乗成果は、フラメンコ界全体に反映されることになる。
「自らの発見」を軸に書かれた心宿る文章というのは、
その自発性ゆえ、執筆技巧の高低に関わらず、
フラメンコな人間の心を共振させるのだ。

こうした好ましい自発性に基づく双方向システムの構築は、
編集長にカムバックした私の「紙のネットのコラボレーション」
という未来戦略における最初の着手だったわけだが、
その浸透には最低三年は必要だと予測していた。

だから、この夏あたりからこうした話題が
業界を一人歩きし始めたことは望外の結果だった。
知ったかぶりやら押しつけがましさとはまるで無縁のところで、
関係者や読者の中に眠っているポテンシャルに
刺激を与え続けるこうした傾向には、
フラメンコの豊かな未来につながる、
確かな光の道筋を感じることが出来る。

そして、第二・第三のみゅしゃも、すでにそこまで来ている。
アーティストたちの実力の目覚しい発展に比べて、
それらを支えるべき各種人材の参入不足が嘆かれ続けたこの十数年。
こうした新たな潮流が、いまひとつスパークできずに停滞している
業界の現状に風穴を開ける突破口になることを私は信じるが、
同時に私にも、第四のみゅしゃになれるぐらいの奮闘努力は必要であろう。
そして、とりあえず第五から第百までのアフィシオナードたちよ、
どうか遠慮なく、このしなびたおっちゃんの屍を乗り越えて行ってね!

つーことで明日は、カスタネットの名手・小林伴子リサイタル。
フラメンコ公演忘備録の担当は、第一の”ぐら”。
サボるとすぐに錆びちまうので、私も補欠で書くつもりだけどね。

いや、凄かった。
ほんとうに凄かった。
きのうの小林伴子リサイタルは絶賛に値する。

例によって、終演後は地元行きつけで、
ご近所の仲よし連とドンチャン騒ぎ。
興奮する頭を一度白紙にして、翌早朝に忘備録をアップするのが
近ごろの私の定跡なのだが、 mixiを開くと、
そこにはすでに新人ライター小倉泉弥の忘備録がアップされている。

一読して、「おお、その通りじゃん」と思った。
二読して、その分析力と発見力にうなった。
三読して、ワシ今回パス、を決めた。

美しかった。
自らを律し、精神を磨き上げ、いるだけで品格が醸し出される。
貴婦人という言葉がこれほど似合う人は、そういないだろう。

冒頭のリズムソロ。
これが最後の締めで披露されたとしても、全く遜色なかっただろう。
「踊り手はパーカッショニスト」という言葉がすぐに思い浮かぶ。
たった一組のカスタネットと、二本の脚。
椅子に座ってサパテアードを刻みながら、カスタネットを掻き鳴らす。
無限とも思えるバリエーション。
想いの丈を朗々と表現する。
何を伝えるか。どう伝えるのか。
本当に必要な物だけ。
その機能を極限まで使いこなし、
長大で深遠な内面を、色使いさえ見えてくる多彩な音色で歌い上げる。
誰にもできない領域。

踊り手にこの姿はどう映るんだろう。
カスタネットを極めるという選択肢がどこかであったはずだ。
しかし、この道はどうやら少数派である。
突き進んだら、どうなるか。
その答えが眼前に広がっている。
あり得た重要な選択肢。だが、困難な道。
きっと尊敬を持って受け止められているだろう。

なぜサパテアードの叩き方には種類があるのか。
なぜカスタネットには左右で音の違いがあるのか。
その意味を教えてくれる。
一度として同じ言い方は絶対にしていないはずだ。
似たように聴こえるフレーズでも、
時に繊細に、時にダイナミックに表情を変える。
もはや打楽器ではない。
これは音階を持った、主旋律を奏でるための表現手段である。
心が震え、目頭が熱くなってきた。

だがしかし。
小林はカスタネットを持たずとも、やはりフラメンコの名手だった。
それが明確にわかったのは、カーニャ。
チ・ブルグットの馬頭琴で奏でられる抒情的な旋律に合わせて、
両手を大きく広げて赤と黄色の鮮やかなマントンを回す。
これを優雅と言わずに何と呼べばいいのか!
心の内に深く深く蓄積された哀愁の、
どこを取っても上質なのだが、
さらにほんの少ししか抽出できない、
選りすぐりの情感のみを惜しみなく振りまく。
すなわち、極上。

もうひとつ気付いたことがある。
本当に必要な音だけを使うので、全体がスッキリしている。
曖昧を許さず、漠然とする装飾は一切不要。
余韻が残り、心に沁み渡らせる時間をくれる。
群舞のカラコレスでは、アバニコを折りたたむ音さえ聴こえてきた。
体を叩く微細な音もしっかり聴こえる。
ここに意図が見えてこないだろうか。
耳を澄ませて聴く、ピアニッシモ。
パーカッシブだが非常に音楽的なのだ。

このスッキリ感は視覚的にも同様で、
これ以上ないくらい上品で洒落た衣装なのに、まるで派手さが無い。
最も観てもらいたい、踊りそのものに集中して欲しい。
そんな声が聴こえてくる。
人によっては少々味気なく感じるのかもしれないが、
おいしいものは得てして薄味である。

ここまで言葉を蕩尽しても、的を射たことを書けた気がしない。
どうかモザイクアプローチ的にその本質を想像していただきたい。
小林は、竹林に人知れず暮らす虎のようにも見えた。
誰も知らない悲哀を心に溢れさせ、身を焦がす熱情が昂る時、永遠に咽び泣く。
あるいは、源光庵の円窓を連想させた。
誰も手を出すことが叶わぬ、アルティスタの中のアルティスタ。
その全部が、感動的だった。

カウンターで呑んでいると、
ばんばんの懐メロ”サチコ”が流れてきて、
ふと、中学時代のガールフレンドの名を想い出した。

愛あるご両親の切実な願いがこめられた、よい名前だと思う。
幸子は優しくおとなしい性格であり、
派手さはないが、その古風な美しい横顔を私は好きだった。
二人してよく北鎌倉あたりに遊びに行ったものだ。

彼女はいつでもビンボーくじを引いてしまうタイプだったので、
名前に反して幸せ薄い少女だった印象が強い。
初めての彼氏が私だったことも、幸薄い彼女の宿命を象徴している。
だが幸子は、今はきっと、俺とおんなじこの空の下で、
明るく元気に暮らしているような気がする。
何事にも地味だったが、そういう底力だけは感じさせる女だったから。

一方の私の名前は「雄二」。
二番目に生まれた雄(オス)という以外の意味を持たない名前だ。
おそらくは「次男(つぐお)」や「下男(しもお)」などの有力候補との
比較検討から付けられた名にちがいない。

「たしかにお前は、私たち夫婦の間に生まれた二番目の雄だけど、
お前には何の期待もしてないから。
中学だけは出してやるから、あとは勝手にやんなさい」
そーゆー願いならこめられていたかもしれない。実際そーなったし(汗)。

ただ、今にして思えば、あるいはこんな可能性もないではない。
いかにもプレッシャーに弱そうな風情で生まれてきた私。
そういう私の行く末を案じた両親による、
プレッシャーのかかりようのない愛ある命名だったのかもしれない、と。

昨年やったぎっくり腰を再発させないよう、
深い呼吸のストレッチのあと、
鶏肉を食いつつ呪文を唱える。

辛口の明るく鋭い視点のコメントを
いつも楽しみにしていたのだが、
ここしばらく音信がなかった。

パセオのモニターが2ヶ月前から頓挫していることを
お詫びしようと思い、メッセージ送りました。
と、言うか、なぜそうなったのかを言い訳しようとして、
と言った方が正しいかもしれないですが・・・(苦笑)

簡単な話です。
両親の介護中心の生活になったとたん、
PCの前に座ってゆっくり文章をひねるという
余裕を失ってしまっただけなのです。

初めのうちは、フラメンコの師匠や仲間にも仕事仲間にも、
介護のことは言わずに乗り切ろうと思っていたのですが、
想像以上の時間の余裕の無さや、
突発事項への対応などをしていると、
ヒミツのまま介護をするのは無理でした。

ですから、しゃちょに対しても、
これを言い訳にして不義理を許して頂こうなんてのが
とっても自分でイヤだったんですが。
結局、単なる不義理なヤツでいることに耐えられず、
言い訳がましくすみません。

とにかく、モニターとしてお役に立つ約束をしていたのに、
それを破ったことをお詫びします。
最後まできちんとできず、本当にごめんなさい。

私はフリーランスで仕事をしているのですが、
不思議な事に、ちょうどこの夏から仕事ががくんと減って、
そこへまるでその時間を埋めるように介護が始まりました。

仕事が減ってみると、残ったのは家族とフラメンコでした。
ライブ前に満足に練習時間が取れなかったりもしていますが、
しかし時間があるからって良い練習をするとは限らないわけで、
お客さまと自分には言い訳しないで済むようなステージをやろうと、
かえってガッツが出ます。

集中して「瞬間」と向き合うフラメンコ、
これが無かったら自分の気持ちが切り替えられなくて
本当に辛かっただろうと思います。
こういう中からも自分のフラメンコが産まれるだろうかと
期待もしながらの毎日です。

そのうち、仕事でもフラメンコを題材にしたいと思っています。
その暁には、ぜひしゃちょもご協力ください。
予算は一円も無いけれど、せめて熱いお茶をお出しします・・・(T_T)

私も大学卒業のころに約一年、
最晩年の父親を、母親と二人の交代制で24時間介護した経験があるので、
そういう時期の精神状況は少しだけ理解できるつもりです。
自分の中の受容ポテンシャルを開発する好機、いまならそう思えます。

パセオ・ガチンコ感想は、ペースをつかんだ頃に
ゆるゆる書き込んでください。
こちらも期待せずに、ゆるゆる待ってますから。

日刊パセオのしゃちょ日記を毎日読むという、
取引先のヘンタイ美女に突然こう突っ込まれ、
若干テレながらも反射的にこう返す。

しゃちょ日記バックナンバー/2010年11月③

仕事してる場合かっ!
いや、仕事はやらんと酒が呑めねえから、本日自宅勤務。
パセオにゃテレビはねーのよ。(涙)

やりかけのインタビュー記事を家に転送してあるので、
番組が始まる13時20分(テレ朝)までには片づけちまおうてえ魂胆だ。
がんばれ沖仁!
気合い入るなあ、こっちまで。

高田馬場でフラメンコを習う、あるピアニスト。
数年前にリリースされた彼女のCDと、
何かで読んだエッセイが頭の片隅に残っていた。

あるフラメンコ公演をめぐる、
ツイッター上のメッセのやり取りがきっかけで
互いの素性が判明し、これも何かの縁だわな、
んじゃ馬場で呑もうかということになった。

改札で待ち合わせる目印に、
私はパセオでも持ってようかとメッセすると、
先方は私に見覚えがあるから、たぶん大丈夫と云う。

同じ振付を踊っても、もちろん各舞踊手はそれぞれに異なる。
余裕で踊る人、一所懸命な人、そのどちらでもない人。
上手い人、そうでない人。
表現に味のある人、そうでない人。
容姿が綺麗な人、そうでない人。
みっちり修練を積んだ人と、単に器用な人との違いも
少しだけわかるようになってきた。

構成・演出・振付の全体像を味わう合間の、
そういう人間観察というのは意外と楽しくて、
群舞鑑賞はもっとも忙しい時間帯となる。
そんな中、私の最大の興味関心はその人の“自発性”。

何だかうらやましいぐらいに楽しげだ。
ブスでも下手でも構わない。
こういうアイレをビンビン放射してる舞踊手を見ると、
やり残しの仕事に後ろ髪引かれながらも、
はるばる観にきた甲斐を大いに感じる。
単に自分勝手に酔っているのではなくて、
そこには主張と協調の好ましいバランスがある。
そういう瞬間を自ら獲得できた人間の輝くようなエロス。

ゴミ回収のおっちゃんたちの気配りある後姿や、
コンビニの店員さんたちのマニュアルを超える心ある応対や、
呑み屋の姐さんのさり気なく相手を思い遣るひと言や、
自立協調の精神に充ちたウェブ友のおろもコメントなどに、
そういう楽しげな自発性を感じるとき、
私の中の好ましい感覚が、ハシッと目覚めるような気がするのだ。

13年を通う私の地元行きつけ秀の看板娘は、
すでに40半ばであるが、まあ、こんな風に魅力的な女性だ。
ほんとうはニューハーフなのかもしれないが、
それを物理的に確認したことはない。

あるとき、女子バレーボールをテレビ観戦しながら、
ご近所の仲よし連とワイワイやってると、
ミキ(上原の米倉涼子)とカズコ(看板娘)と私が、
それぞれバレーボールに縁があったことが判明する。

ミキ(長身だが3メーターはないと思う)には、
どうかチームに入ってくれと、クラブ顧問が家まで説得に来たという。
変化球サーブを買われ一年生から区大会に出場していた私は、
志望職業方面の修行が多忙すぎて、中二の秋にバレー部をやめた。

そして、クラブで大変ないじめにあって退部したのだというカズコ。
何でだあ? と全員同時に突っ込むと、涼しげに彼女は答える。

地元行きつけで、最近言葉を交わすようになった年配がこう云う。
後で知ったが、代々木上原に自社ビルを持つ、
顔に似合わずえらく高名な写真家で、
歳は私より八つばかり年長らしい。

ぷっ。
ったく、どーゆー計算なんだよ。
ま、だが、ウマは合ってるかも。

パセオ新年号・新連載『心と技をつなぐもの』。
先月終えた、その小島章司さんの取材は実に楽しかったな。
写真家・大森有起と文章担当の私が、五分と五分とで渡り合いながら
コラボ制作するチョー入魂連載のその初回。
春から私と交代でその連載を担当する小倉泉弥もロケに練習参加し、
章ちゃんも大盛り上がりで主人公を務めてくださった。

で、その愛すべき超大御所は、全国ネットでテレビ出演!
あした勤労感謝の日の早朝、
NHKで小島章司のイタンビュー番組が放映される。

過去、現在、そして未来の小島章司。
懐かしい舞踊シーンとともにそれらが俯瞰できる、腰のあるいい番組だった。
パセオも『バルセロナ物語』の映像(カルメン・アマージャの名シーン)を提供した。
そして、あの『カディスの女』や『瞋恚の炎』は、いま観ても超絶品なのである。

過去のハードで地道な積み重ねの上に、いま現在を楽しむ心境。
いま現在を楽しむ延長線上に描く未来図の、その明るさと逞しさ。
透明なエネルギーに満ち充ちた章ちゃんの心がくっきり視えた。

今年の夏にロングスカートを買った。
ファルダより短い(当然だが)ので妙に不安になった。
そして、ひざ上スカートも買っていた。
もはやパンツ一丁となんら変わらない気がして
タンスの肥やしとなった。

懐かしい同世代がたくさん集まる寄り合いの席で、
思いもかけず、いろんなプレゼントをもらった。
感謝の気持ちで一杯である。

その帰り際。
三つばかり年上の女流強豪が凄みある笑顔で、
「なんならアタシを持ち帰るか?」 と、私に問う。
感謝の気持ちで一杯いっぱいである。(汗)

しゃちょ日記バックナンバー/2010年11月④

目覚めてすぐにmixiを開くと、
公演忘備録が新規アップされている。
見れば、新鋭ぐらによるきのうの沖仁ライブの忘備録だ。

は、早っ! (汗)
私も早いのが取り柄だが、もっと早い。
だが、他人のふんどしで相撲をとるのも私の取り柄なのである。

★沖仁”MI CAMINO” Tour 2020
11月24日/東京・渋谷文化総合センター大和田さくらホール

確かに変わった。
前回の”Al Toque”Tourで
フラメンコギター国際コンクール優勝直後のステージを観たのは記憶に新しい。
あれからたった2ヶ月しか経っていないのだが、
沖仁が別のアーティストに見える。

大変興味深く、また貴重な問いを沖はステージから投げてくれた。
「僕のライブに来るのが初めての人って、どれくらいいますか?」
すると、9割を超えるであろう人が手を挙げたのだ。
ネットの時代でも、テレビが生活者にリーチする力が強大であることに変わりは無い。
視聴率1%でも100万人であり、
1日に100万クリックされるサイトが有数であることは周知のこと。
この差はでかい。
しかし、それを引き寄せたのは沖自身であり、
きっとこうなるタイミングだったのだろうと思う。

周囲が変化したのはこのように明白だったが、
それにも増して沖が今まさに変貌を遂げようとしているように見えてならない。
まだ脱皮しきっていないと直感する。
だけど、間違いなく変化してきている。
このツアーを終えて、それでどうなるかを観てみたい。

僕がこんな身の程知らずの発言を述べるのには、ちゃんと理由がある。
それは一発目のブレリアから顕著だった。
たぶん人柄だろう、沖にはどこか遠慮がちな雰囲気があったように思う。
緊張して硬くなっているのとは違うが、
会場の空気を察してコミュニケートするためなのだと推察する。
しかしこの日は、ズバッと行ってくれた。
この迷いの無さ、力みとは異なる気合い。
最後に弾いた曲で爪が割れたらしいが、それくらい突き進む気概があった。

アンコールでは「まだ人前で弾く段階ではない」と言いつつも、
新曲のファルーカを演奏してくれた。
『敬意と誇り』という意味を持つこの曲をあえて披露した心を感じたい。
フラメンコに抱き締められて以来、解き放たれて自身の存在意義をつかみ取った。
大袈裟に書けばこんなところか。
ヒターノに憧れ、ヒターノみたくなりたくて、スペインに飛んだ。
でもヒターノになれないとわかって、自分の音楽を見つけるために帰国した。
再びその姿をヒターノに見せたら、認めてもらうことができた。
声を大にして言いたいのだが、
沖仁はまさにこれからなのだ、絶対。
それはつまり、「いま」なのだ。
もう口火が切られた快進撃に乗り遅れることは、
フラメンコギター史の現在を体感し損なうことを意味するだろう。

本音を言えば、こんなに近いタイミングでライブを観ることに、
趣味以外の価値がどれくらいあるかちょっと測りかねていた。
忘備録を書くつもりもなかった。
というか、たまには仕事を離れて
気楽にフラメンコを観たいと思っていただけなのだが. 。
思いがけず、見逃してはいけないと思った。
全体としては、プーロあり(いやモデルノか?)、フラメンコフュージョンありの、
バラエティに富む印象のステージとなっている。
時に、ビセンテ・アミーゴを彷彿とさせる抒情的なファルセータが、
沖の突き抜け具合を教えてくれる。
ビセンテを連想させるが真似ているのではない。
沖のファルセータに聴こえるのがなんとも嬉しい。
「こういう音楽をやりたいから、こうやって弾いている。」
そんな意志がハッキリと伝わってきた。

余談だが、MCも上手になった気がする。
ホールであっても聴き手とコミュニケートしようとする姿勢はこれまでも見られてきたけど、
こなれてきたなんて書くと、失礼だろうか。

曽根崎から十年。
鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団による
期待の大作、その初演である。

「円熟期を迎えた鍵田の集大成の作品にしたい。
安珍と清姫伝説を基にするが、古典劇ではなく、
人を愛することの精神的な尊さを表現する舞台にしたい」

「フラメンコ=スペイン、ヒターノの踊りという考えが強いが、
数百年単位で見ればいろいろな文化が融合していることがわかる。
日本の音楽と自然に出合って、
今回フラメンコの新たなジャンルを作り上げたい」

20数年来、公演前または公演後に、
いつも鍵田に乞われることなのだが、
同じ月の小林伴子リサイタルで隣席した彼女は、
いつにない強さで私にそれを繰り返した。

過去を肯定されることより、
改善を促す否定の言葉によって、
願う未来に一歩でも近寄りたい。

辛口でも甘口でもなく、
いつもスルメ味とかバナナ味で書きたい私だが、
今回は彼女の熱望する超ストイックな土俵で、
それを想ってみるべきか。

ところが、将棋界のカリスマ羽生(はぶ)名人の場合は、
対戦相手がヘボな手を指そうものなら
ムッとした表情になることで有名だった。

勝ち負けに執着するのは勝負師だったらあたり前のことだが、
加えて名人は、「対戦相手との共同制作による作品創造」
という意識の極めて高い、本格アーティストなのである。

つまり、基本姿勢にまるで曇りがない。
他者の魂をリスペクトしている。
セコい駆け引きに頼らず、創造に集中する。
だからブレない。
羽生名人の在り方には、永いスパンでトップ・アートを
体現し続けるための明快なヒントを感じることが出来る。

ただし、それを感じることが出来ても、
それを実践できるかどうかは別問題である。
不運にも、実践できないタイプの代表選手である私だが、
まあ、そうした実相を知り得た幸運には、心底感謝したいと思う。

自分では何も出来ないかもしれないけど、
そうした素晴らしく愛すべき対象を、
及ばずながら、縁の下から援護することは可能だと思えるのだ。

───────────────────────────────
2020年11月28日 (日)/その516◇我が良き友よ

おとつい金曜。
例によって、高校時代の親友たちとの呑み会へ。
今回は久々に美人女性軍は抜きで、むさい野郎ども六名がのこのこ集まった。
年に数回、出身高校のあるJR平井駅近くの人気ちゃんこ屋で、
別に用事もねえのに、意味もなく、ただワイワイぐだぐだ盛り上がる寄り合い。

すでに37年の付き合い。
利害と気兼ねのなさが、呑み会が永きにおよぶ理由だと思うが、
いつも自ら幹事を任じる、近ごろはストイックな人生に目覚めた
小杉(A型 )がおらんことにはどーにもならん。
一家を挙げてマラソン人生に賭ける松原と、
成人した息子たちとの交流にウルウルしてる粒良は、
ともにB型なので幹事にゃ向かない。
そして、自衛隊上がりの無敵の武闘派・武田と、
昔から怪しげに稼ぎまくるラスプーチン増田と、
昔にしきのあきら今キアヌ・リーブスことわたくしは、
みな0型なのでこりゃ問題外だ。

まあ、皆大なり小なり問題児であったことも結束の理由になってる。
国立大を狙える進学校だったのに、学業やら学則に勤勉だった者は皆無だった。
しかし往時から皆、人生にはそれなりに勤勉だったかもしれない。

今は北陸・金沢に店を構える、やはり極めつけの劣等生・坂井に、
小杉が電話を掛け、全員にケータイを回す。
中学時代は生徒会長だった奴は、高校ではサッカーとフルートと女に狂い、
やがていっぱしの料理人となった。

忙しい坂井が東京に出れないなら、こっちの方から押しかけるか。
来春、4月の後半あたりに1泊2日で皆して飛んでくるか。
そんな話が即座にまとまる。
押しかけられる坂井の都合が気になったが、それは私の杞憂というもので、
その決議に対する奴の応答には、心底楽しそうな歓喜が聞こえた。

それぞれの親の通夜で出くわす時期もひと段落し、
今ぢゃオレたちが通夜の主役を張ってもおかしくはない年代となった。
じゃあ、ここらでひとつオチこぼれの腐れ縁同士、修学旅行でもやっとくか。
口には出さねど、まあ、そのような皆の想いが合致したのだろう。

歳をとって失うもの。
歳をとって輝きだすもの。
まあ結局、プラス・マイナスはゼロなのかもしれんねえ。

★ARTE Y SOLERA/道成寺
(2020年1月27日・28日・全3回公演/東京・京橋・ル テアトル銀座)

『曽根崎心中』から十年。
鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団による
待望の大作『道成寺』、その初演である。

演出・振付(群舞でも参加)の佐藤浩希は、
公演前の毎日新聞のインタビューに応えてこう語った。
「円熟期を迎えた鍵田の集大成の作品にしたい。
安珍と清姫伝説を基にするが、古典劇ではなく、
人を愛することの精神的な尊さを表現する舞台にしたい」。

さらに佐藤はこう加える。
「フラメンコ=スペイン、ヒターノの踊りという考えが強いが、
数百年単位で見ればいろいろな文化が融合していることがわかる。
日本の音楽と自然に出合って、
今回フラメンコの新たなジャンルを作り上げたい」。

こてこてのプーロ・フラメンコ好きで知られる佐藤浩希が、
今回は打って変わって日本人としての誇りを前面に押し出す、
真っ向勝負の挑戦なのである。

そして、清姫を舞う鍵田真由美。
「お願いだから、超辛口の意見を頂戴!」。
これはこの20数年来、公演前後にいつも鍵田に乞われることなのだが、
同じ月の小林伴子リサイタルで隣席した彼女は、
いつにない強さで私にそれを繰り返した。
褒められている猶予はない。・・・まぢで私とは正反対の人格なのだ。

過去を肯定されることより、改善を促す批判によって、
願う未来に一歩でも近寄りたい。
永きにわたる交流から、それが浮き世離れした彼女の渇望であることが痛いほどわかる。
そうした洗礼は、鍵田が唯一安らげる祈りの時なのだろう。

辛口でも甘口でもなく、
いつもスルメ味とかバナナ味で忘備録を書きたい私だが、
ならば今回、鍵田の望む土俵でそれを想ってみたいと、
弾む足取りで初日・夜の部に出掛けた。

「昔あるところに、ひとりの娘がいました。
旅の僧に恋心を抱き、結婚を願って迫ります。
男は逃げ出しました。『待って! 待って!』。
娘は逆上して追いかけます。
しかし、なおも逃げつづける男。
ついに娘は大蛇と化して男を追い詰めます。
男は道成寺の鐘の中に逃げこみますが、
大蛇は炎を吐いて男を焼き殺し、
日高川の水底へと消えてゆくのでした。」

全体を「序破急」と見るなら、
僧・安珍との出会い(序)、安珍を追う覚悟(破)、
清姫大暴れ(急)の三段構成ということになるが、
静寂のラストシーンを含め「起承転結」と感じることもできる。
カーテンコールを含み休憩なしの約80分は、
ガチンコ舞台鑑賞における理想的な上演時間だ。

「序」「破」の部分は抑えに抑え、
続く「急」でダイナミックに弾ける清姫大暴れの展開には、
期待通りフィジカルな快感が爆裂する。
大蛇変身ゆえバタ・デ・コーラのフル活用は容易に読めたが、
精鋭舞踊手12名を大蛇の胴体としてエクザイル状態で
機能させるアイデアは素晴らしく鮮烈。

鍵田真由美は持ち前の身体能力と舞踊技術をフルに発揮しながら、
清姫の純情と執念のコントラストを、高い安定度でスリリングに舞う。
フラメンコ抜きの邦楽バンドと舞踊団のパフォーマンスは
極めて高い次元で合致し、
細部に至るまでクオリティの破綻は微塵もない。
舞台アートの精妙さにおいて、アルテ・イ・ソレラは
日本のフラメンコ界のトップを走るのだ。

矢野吉峰を筆頭にフラメンコ協会新人公演・奨励賞舞踊手を
中心とするキャストは、どんな所作にも高い水準をキープしながら、
それぞれが精密なアンサンブルの一構成員に徹する。
その表情は透明にして無機質。
そこにはフラメンコ文化とは対極にある日本文化の特徴も垣間見れる。
勤勉、緻密、そして無私なる協調性。
そう云えば、公演プログラムに「フラメンコ」という文字が見あたらない。
そんな拠り所さえ取り払う、毅然たる覚悟の上の確信犯的公演。

だが、特に「序」の部分の、舞台アート用に昇華された日本的所作は、
阿波踊りや佐渡おけさなどの野生でリアルな粋を愛する者にとって、
ましてやフラメンコ人間にとっては、正直シンドかった。
ただし、そういう抑制された高い技術とテンションの連続が、
続くクライマックスをいっそう際立たせたことも、また事実だった。

終演後、アルテ・イ・ソレラ公演では最終的には必ず保証される
「いい舞台アートを観た」という好ましい充実感と清々しい余韻に包まれる。
カーテンコールのたびにスタンディングで讃える人は次第に増え続け、
最終的にそれは百名ほどに達していた。

だが、私は立てなかった。
「今回フラメンコの新たなジャンルを作り上げたい」
という佐藤のヴィジョンは、私の予想よりもはるかに大胆不敵だった。
世界を睨む佐藤浩希の巨大な構想に、私はまるで付いて行けてないのか?

ふいに、ニジンスキー演出のストラヴィンスキー『春の祭典』パリ初演
(1913年)の騒乱エピソードが脳裏をよぎる。
もとより、そこでブーイングを飛ばした
マヌケな観衆の二の舞いを踏むつもりは私にはない。
かと云って、フラメンコと日本文化のハイブリット名作、
『曽根崎心中』初演の時のように、心から共感できたわけではない。
折あらば、私の中に生じた率直な愚問を、佐藤にぶつけてみようと思った。

そして、もうひとつ。
鍵田がフラメンコな必殺兵器をすべて封印し、
09年12月に国際的サーカス・アーティスト、アリ・タべと共演したライブで
得体の知れぬ深い感動を味わった私には、
今回の鍵田が正直もの足りなかった。
フラメンコを踊る近ごろの鍵田は、
宇宙の意志を反映するシャーマンの如き突き抜け感を呈することが多いが、
フラメンコ抜きで素手でアリと渡り合った鍵田は、
己ひとりを頼りに、あの時確実に突き抜けていた。
鍵田の道成寺に、そういう得体の知れない突き抜け感を、
当然のように私は期待していたのだった。
それは私の望み過ぎなのか?
それとも私は、鍵田の新境地にまるで付いて行けてないだけなのか?

なお、深い感銘を残した超絶技巧邦楽陣は、
〈鼓童/作曲・胡弓・笛〉吉井盛悟、〈鼓童/笛・筝〉山口幹文、
〈和太鼓〉金子竜太郎、〈三味線〉中田誠。
自然な好ましさに充ちあふれた舞台の制作陣は、
〈音楽〉吉井盛悟、〈美術〉前田剛、〈照明〉井上正美、
〈衣裳〉山本れん子、佐藤結鼓、〈音響〉洲崎拓郎、
〈大道具〉坂元重光、〈舞台監督〉井関景太。

毎日の日記を書きながら、
あるいはパセオの記事を執筆しながら、
眼前に生じる現実のエピソードに、
ギャグやらファンタジーやら真実らしきものを発見することは、
近ごろの最大の楽しみかもしれない。

しゃちょ日記バックナンバー/2010年10月①

「これも何かのご縁だと思い、
パセオショップで年間購読の申し込みしちゃいました♪
これから1年間、こちらでもよろしくお願いします☆」

「ありがとう、チョーうれしあるぞお!
私もたくさん記事書いてるんで
(書かない方がいいと云われている)、
そこだけ抜かして熟読してねっ!」

───────────────────────────────
2020年10月02日/ その462◇工事中

パセオフラメンコ公式ホームページ、
ただいま、その一大バージョンアップのため、
水面下で大工事中。
遅くも10月半ばには公開できる見込み。

なので、ほんのしばらく『しょちょ日記』をお休みします。
毎日読まれてる方(地球上に推定三名)、ごみんなせえっ。
こんどのリニューアルはかなり濃いからねっ!

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2020年10月03日/その463◇愛、信じる勇気

今月中旬に大リニューアル予定の当ホームページ。
現在、水面下で突貫工事の最中のため、
しばらく日記は休むつもりだったのだが、
読者の星・みゅしゃより、10月号ガチンコ感想が到着。
こりゃ工事どころじゃねーやと、心弾ませながらアップ!

心待ちにしていた沖仁さんのインタビューを読もうと、
まず表紙からパラパラパラとめくっていたら、
左下の1枚の写真に目が引きつけられました。
瞬時に「濱田先生のご家族だ」と気付き、pA33に戻りました。

こんなに幸せにあふれている写真をみたことがないと思いました。
ご夫婦が寄り添い、慈しむ眼差しを赤ちゃんに注いでいる。
全身で愛情を受けている満足感が、
赤ちゃんのまるまるとした顔にあらわれています。
じんわりとあたたかな気持ちになりました。

パートナーとの愛、親子の愛、
生きていくためのすべての源がここにあるという、
あたりまえのことを改めて気付かせてくれた写真でした。
家族のためにオサンドンをこなしながら、
音楽や言語の研究をこつこつと続けられていく先生の姿に、
大切なことを教えられています。

私も3人の食べ盛りの息子たちを育てている真っ最中です。
食べることや洗濯の山に毎日時間を費やされて、
自分のことはいつも後回しになり、
取り残されているような虚しさが募るばかりでした。
でも、穏やかでブレのない先生の生き方を拝読しているうちに、
心のよりどころはどこにあるかをもう一度見つめ直して、
自分の役割にもっと誇りを持って日々を過ごしていけば、
おのずと歩む方向が見えてくるのではないかということに、
だんだんと気付くようになりました。
この連載に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、沖仁さんの『信じる勇気』。
しゃちょさまの渾身のインタビューですね。
言葉のひとつひとつが、びしびしと心に響いてきます。
辛いとき、くじけそうなときに、何度も読み返す処方箋となることでしょう。

CD「アルトーケ」、著書「シノキズム」も両方購入しました。
これまでの集大成が、自然体で込められていました。
どちらも、ギターコンクール優勝の直前に出されたものですよね。
本当に優勝するべくして優勝されたのだと思いますが、
じつは、そのような形を必要としない高い次元で、
開花されたように感じています。

ひとつの信念を抱いたら、水をやり、肥料を与え、
手塩にかけて育てていけば、
必ずその人なりの花を咲かせることが出来ると、信じさせてくれました。

しかし、沖さんがさらに素晴らしいのは、
花が咲き誇っている今の状態にあぐらをかくことなく、
豊かに実った種をまき、次世代へつなげ広げていこうと、
すでに行動に移されているその姿勢です。
さりげなく書かれた編集後記(A40)に一番感動してしまいました。
パセオの記事で沖仁さんの活躍をリアルタイムに読み、
関わっていくことのできる私たちは、幸せものです。

ああ、ほんとに深く読み込んでくれているねえ。
編集者冥利に尽きます。ありがとう!
売れる売れないは別として、
そういう読後感の残る本創りが私の祈りでした。
私はそういうアートやそういう本が大好きだからです。

なので上達の即効性を求める読者層は落としたと思います。
その代わりに、一年後、十年後の上達や豊かさを求める
読者層を 改めて獲得しつつあるのがパセオの現状です。

さて、濱田先生にしても沖さんにしても、
特殊な職業に見えて、その生き方には、
とても好ましい普遍性が溢れていることを強く感じます。
だから、フラメンコが書ける、弾ける。
実は私たちだって、みんなそういう潜在能力を持っている。
それをやるかやらないか、その違いだけ。
みゅしゃの寄稿から、そういうシンプルな真実に気づきました。

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2020年10月06日/ その464◇萌えよドラゴン

シュール・アフォリズム より、最新ヒット集。

●ryouko
デブレ・スパイラル
(どんどん太っていくようす)

●どんど
ドはドーナツのド
イは遺憾の意

●YukoBATATA
胃から出た足袋
(謝罪会見。術後、患者の体内より取り出しました)

●しゃちょ
ワタル、世間にオニワ梨
(梨園で大成功を収めたワタル少年が、
名品オニワ梨を世間全般に振る舞う様子)

●しゃちょ
鬼の目にもだみだ
(人間どころか鬼の目にも合わない劣悪老眼鏡のこと)

●みゅしゃ
ハトの祭り ~民主党代表選~

●Oちゃん el FRANCES
萌えよドラゴン

●Oちゃん el FRANCES
もうええよ、ドラゴン

これは龍馬ブームの源泉たる、
司馬遼太郎師のアフォリズム。
パセオ10月号に引用したら、
周囲にそこそこ反響があった。
みんな才能はまったく無いが、
性格には山ほど問題を抱えた連中ばかりである。

才能には改善の余地はないが、
性格ならば努力次第で何とかなるのではないか?
そういうリアリティを感じさせる言葉だと云うのだ。

約30年の努力の結果、その成果は明白だった。
800あった性格的欠点が、797にまで激減したのだ。
つまり、あと僅か7970年ほど努力を続ければ、
性格は完璧に改善され、
何事かを成しとげる可能性が生じる計算である。

川沿いの小道を歩いている。
グレーの石橋が前方に見える。
珍しい眼鏡橋だ。
橋の上には一組の母子がいて、
楽しそうに川を眺めている。

なぜか私は風船を手にしており、
その幼児に風船を手渡す。
幼児は喜び、その母親は私に礼を返す。
彼女は知り合いによく似ているが、
それが誰だか思い出せない。

再び歩きはじめると、
前方から小さなトラックがやってきて、
私の横で静かに止まる。

ユージ、乗ってけ。
そう云いながらトラックの荷台を指さす。
従兄弟のタケオちゃんだ。
母の姉の息子なので、よく母に似ている。
私は荷台に乗り込む。

何処へ行くのだろう。
ま、どこでもいいやと思う。
トラックはゆっくり走り始める。
夕焼けがきれいだ。
こんな美しい夕焼けは久しぶりだな。

と、そこでふいに目が覚める。
近ごろは、こういう風な淡々とした夢が多い。
そして水彩画みたいな印象だけが残る。
でも、悪くはない。
珈琲の準備をしつつ、
顔を洗って仕事にとりかかる。

昨日は結婚満12周年記念日。
連れ合いの誕生日でもあったので、
パセオのご近所高田馬場の裏道にある、
気の利いた小割烹で二人とことん呑む。

かわはぎ肝刺し、さんま焙り刺し、
松茸土瓶蒸し、カニと菊酢、丸茄子の揚げだし、
地鶏焼きのおろしポン酢、 あなごの天ぷら、
イカの丸焼き、辛み大根おろしそば、
みたいな好物を肴にビール、日本酒、焼酎で。

九歳年の離れた戦友。
互いにアブねえ橋のなりわいで、
ようまあ、12年やってこれたものだと、
互いの無事を讃え合う。

写真は自宅の庭(代々木公園とも云う)にて、
先代守護犬メリと。
さすがに12年前。
あんたもわたすも若かった。

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2020年10月10日/その468◇高くたっていーじゃん

「魚や肉が高いのは認めても、
レタスやキャベツが高いのは認めないのって、
それっておかしーよ」

しゃちょ日記バックナンバー/2010年10月②

「フラメンコな生き方」。
誰かのブログではない。
ふと、そんなのがあるか否かを考えただけだ。
けれど有無はどうでもいい。
人生には、それなりに制約がある。
その中で楽しむ意識を持てるか否か、 だろうか。

これは同世代の男性マイミク・徳さんの日記の抜粋。
さすがにいいこと云いやがる。
ある意味、確実にフラメンコの本質を射抜いている。
いや、フラメンコのみならず、あらゆる「道」を
包括しているようにも思える。

かつての私がそうであったように、
制約を破る自由がフラメンコだと勘違いする人は多い。
共通認識であるはずの「制約」自体の解釈が、
遺伝子性や時代性・地域性などの環境によって
さまざまだから、それはそれで無理もない。

フラメンコが突出している部分は、
「コンパス」という制約が実に明快であり、
同時にそれが、好ましい自由の姿を浮き彫りにする点だろう。
そういう共通認識を好む人たちが、
フラメンコには自然と集まってくる。
フラメンコは、私のような勘違い人間にも
門戸を開けてくれたのだ。

やがて私たちは、その制約(コンパス)を知る。
人が、他人とどうやらうまくやってゆくための
最小限の制約を知る。
どこまで自分の好きにやっていいのか?
その領域を知る。
そのやり方がほとんど無限であることも知る。

そういうことを自分で考えて、実践してみること。
何万回と失敗しても、めげずに実践し続けること。
自らの失敗の中から、勘違いを修正しようとすること。
自分で自分を信じられる部分を、
毎日0.001mmくらいずつ大きくしようとする人。
楽しめないまでも、そういう日常を楽しもうとする人。
いつかそれを楽しめる日々が訪れることを信じられる人々。

つーことで、今日から日記も再開。
毎日読んでくださる方も、
もの凄くたくさん(地球上に約三名。犬も含む)いるので、
できる限り更新してゆきたいと思う。
よかったな、約三名(私も含む)の皆さまよ!

ガラッと気分を換えたくなるとき、
なぜか隅田川に脚が向く。
おそらくは、江戸っ子の帰巣本能。
癒しと原点確認がその目的なのだろう。

久々に丸一日休暇をとって、
向島・百花園を基点に、
永井荷風も愛した墨東界隈(隅田川の東)を、
朝からアテどなくさまよい歩く。
(↑アテがあっても目的地にたどりつけないケースが多い)

午後からは墨西に本所吾妻橋を渡り、
懐かしい浅草界隈の風情を胸いっぱい吸い込む。
新東京タワーによる集客力はなかなかのもので、
浅草は以前の倍以上の賑わいを見せていた。

さて、途中二度ほど道を尋ねられた。
百花園では北関東のイントネーションの
60代くらいの若夫婦に浅草への行き方を、
パセオに向かうJR上野のホームでは
80代くらいのお姐さんに北千住への行き方を。

サングラスに黒のフラメンコ(堀越画伯)Tシャツ、
黒の小リュックといういでたちなので、
ちょっと声の掛けづらい風体だとは思うのだが、
そこはほれ、品性の良さが自ずとにじみ出る私である。
リュックからメモを取り出し懇切丁寧に説明するわけだが、
根っからの方向音痴の私に正しいお導きなど出来るはずもない。

だが、心配はいらない。
人にはもともと帰巣本能が備わっているのだ。
惜しくも目的地には到着できないかもしれないが、
必ずなんとかご自分の家に到着出来ることだけは、
この私が保証しよーではないか。

これって本当にフラメンコの本?
って思っちゃうくらい、買って良かった!
正直申し込むまでは少し迷ったけど、これもご縁と、
思い切って年間購読の申込をして良かった!

初め、パラパラとめくってフラメンコ用語集を見つけてチェック(笑)
何と言っても始めたばかりで、言葉(フラメンコ用語)なんて
全くわからない私には何とも有り難いページ!
レッスンで習った用語を目で追い、改めてレッスンを思い出しながら、
部屋で1人おさらいをする。

本の深いところまではまだまだついて行けそうにないなぁ. なんて思いながら、
沖仁さんのページを読んでみる。

これなんだ!
目に見える形じゃない、内から湧き出すもの!
自分が自分であり続ける事。
私の心に光りが射した気がしました。

沖仁さんのツボ②
何でしょうね(笑)。
凄く凄く心に. っていうか魂に響きました!

そうすると、不思議なくらい無性にフラメンコへの想いが強くなり、
まだまだ右も左もわからないヒヨッコだけど、フラメンコだけはずっと続けていきたい!
そう思えたんです。

後、「バルdeぱせお」のコーナー。
ほんわかしましたね。
皆さん、こんなふうにいろいろ失敗もしながらまた前に向いて頑張ってんだなぁ~!って、
自分の気持ちを振り返りながら、私自身の心にあった、
情けなくなるような様々な傷を乗り越えれそうな気持ちになりました。

諦めちゃダメ!
真っ直ぐに目標?に向かって諦めずに向かって行けば、
必ずその場所は、目の前にやって来るから!
チャンスを掴むとは、タイミングもあるけど、諦めないこと!
自分を信じて、その為の今を大切に過ごしなさい。
そんな声が聞こえてきた気がします。

濱田滋郎さんの「なんでかなの記」。
素敵な絆を感じました。
私も、今はまだひとりだけれど、ひとりの空間でもいい。
あんなふうに愛にあふれる空間を大切にしていけたら. と、気持ちが優しくなりました。

わからない専門用語?もありましたが
何となくわかる感じがくすぐったくて何か心地いい. (笑)。

記事の最後の方のチョコラーテの言葉を読み、
目の奥から鼻の奥がツンと軽い痛みを覚えました。
マジで泣ける。
素晴らしい!

まだまだフラメンコを始めて1ヶ月ほどの未熟でどうしようもない位のヒヨッコですが、
いつか素敵にフラメンコを踊れるように、
レッスンや練習をめいっぱい楽しみながら、頑張りますね!

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10月16日(土)/その473◇今井翼とパセオフラメンコがテレビで共演

日本テレビの番組スタッフから
「月刊パセオフラメンコ」の出演依頼(↓)があった。

放送日◆2020年10月18日(月)19:56~20:54
放送網◆日本テレビ(全国ネット)
番組名◆「世界まる見え! テレビ特捜部」
企画内容◆
今回当番組で、スペイン料理に関するVTRが流れます。
そこで当日ゲストにいらしている今井翼さんが
スペインが大好きということで、スペイントークをする予定です。
その際に、スペインを好きになったのはフラメンコがきっかけと
いうことで、月刊パセオフラメンコ(今井翼表紙号)を
ご紹介させてください。

きのう、ご近所を散歩中に、珈琲ミルを買った。
焼きの濃厚な珈琲豆といっしょに。
そんなことは生まれて初めての体験だ。

さっそく家で試してみる。
ゴリゴリ回す手動なので、手間はかかる。
だが、挽きたての珈琲は予想以上に旨い。

その晩、秀で呑みながら、そんな出来事を話すと
連れ合いはこう笑った。
なにせ私の性格を熟知している女だ。

だが、二日目となる今朝、私はやる気満々である。
もうそろそろ起きてくるであろう彼女に、
挽きたての珈琲を淹れてやろうと思う。

そのために、各種ブログを更新しながら、
コンビニの無糖アイス珈琲に
ミルクをじゃぼじゃぼ入れたやつを呑みながら、
目を覚まそうとする私。
もう三杯目なので、腹はたっぽんたっぽんだ。

今晩は『花岡陽子フラメンコ公演/時は過ぎゆく』へ。
会場のめぐろパーシモンホールは初体験。
どんなホールなのか楽しみだ。
迷子にならずに、とりあえず辿り着くことが肝心である。
公演忘備録レギュラー執筆陣が三名観るが、本日担当は私なので、
昨晩はインディ・ジョーンズを観たあと即爆睡し、体調も万全。
出演メンバーもご覧のとおりの豪華キャストである。

【バイレ】花岡陽子、吉田久美子、清水フミヒト、箆津弘順、
井上泉、富田彩千恵、マジョール5人組、他
【ギター】柴田亮太郎
【カンテ】有田圭輔、阿部真
【ピアノ】斉藤たかや
【ヴァイオリン】香月さやか
【パーカッション】海沼正利
【フルート】坂上領域
【しの笛】木崎詔甲
【ベース】高井亮士

やはり今晩、今井翼とパセオフラメンコ(ツバメンコ表紙号)が共演する
日テレ『世界まる見え! テレビ特捜部』とバッティングだが、
録画を呑み友いーちゃんに頼んだので(自分では出来ない)準備も万端。

当然、勉強しているヒマなどなかった。
高校時代からそれなりに働いた私だが、
よく仕事する時間があったものだと思う。
まったくもって、呑気な時代に育ったものだ。

じゃあ、オレは強運だけで生きてきたのか?
「いや、そんなことはない!」
そう力強く否定してくれる声が、
自分の中から聞こえてこないことに激しく冷や汗。

★花岡陽子フラメンコ公演/PASA LA VIDA~時は過ぎゆく
10月19日/東京・目黒・めぐろパーシモン大ホール

たくさんの人気精鋭プロから、これからじゃんじゃん伸びてく人まで。
世代、性別、芸風、技量などを超え、フラメンコを愛する人たちが
一堂に会する華やかなエンターテインメント。

アメリカ南北戦争をスペイン内戦に置き換える『風と共に去りぬ』の
スペイン・ヴァージョンにも見受けられるが、
狂言回しとして登場する平均的日本人カップルによって、
この舞台が国境を超える普遍性を志す作品であることが視えてくる。

スカーレット・オハラを連想させる主人公・花岡陽子の若き日を
人気バイラオーラ・吉田久美子が演じ、
全体は主人公の回想によって展開される構成。

舞台を観終わった直後は、硬派なフラメンコが
存分には活かされていないという部分的失望に覆われたが、
翌朝その感想を整理し始めてみると、
何か温かな未来へのポテンシャルを沸々と感じ始めている自分が居た。

若手・中堅の実力派アーティストを軸に、
硬軟さまざまなフラメンコをひとつの舞台に集結させ、
自らはしゃしゃり出ることもなく、
どんな境遇であろうと強く明るく生きてゆこうじゃないの、という
花岡陽子流の通奏低音テーマを貫く100分強。
たとえ強大な組織であっても運営困難に思える超大型プロデュース公演を、
淡々と彼女はやり遂げたのだった。

フラメンコ舞踊シーンの中心となったタブラオ場面。
その表面を意地悪く評せば玉石混合なのだが、
その内側に潜む感性・思想のあっけらかんとした豊かさに、
心の振り子が大きく揺れる。
賑やかしに動物の着ぐるみで登場するのが、
なんとフラメンコ界の重鎮たち(山田恵子、本間牧子、チャチャ手塚、鈴木眞澄)
であったこともその揺れに拍車をかける。

さて本番中、私の中で最もしっくり来た部分。
ラストに花岡陽子の舞ったひと振りは、
淡い光の美しい水彩画の如くに深く脳裏に刻まれた。
その瞬間、彼女の心がくっきり視えた。
人生を愛する多くの人々にとって、
この花岡陽子の舞いは実にしみじみと好ましかったはずである。

「そして最後の花岡先生、すてきでした。
人間性、だろうか. そうだろうね.
フラメンコとかそれ以前の話. 。
なんか、舞台全体を包み込むようで、すてきでした. 」

台本・演出・構成は清水フミヒト。
全てのスタッフを紹介したいが字数の都合で主たる精鋭フラメンコのみ記載。
(バイレ)箆津弘順、井上泉、富田彩千恵、(ギター)柴田亮太郎 、
(カンテ)有田圭輔、阿部真、(パーカッション)海沼正利。

しゃちょ日記バックナンバー/2010年10月③

わたしはS枝Y輔さんをはじめてLiveで観たとき、
浮かんだ言葉は「つるつる舞の海」だった。
彼女は「踊る魁皇」と。ウケる。
一緒に秋季キャンプに参加して、そのあとはそっち方面でがんばりたいと思ったりなんかした。
おもろい!

今夜は芯から冷える蝦夷の秋ですが、
じっくりまったり、
まだ中田さんとか佐藤浩希さんとかの大好物に手つけてないし・・・

画伯とマヌエルとミゲルのやりとりは、
ひとりカウンターで飲みながら、
横の盛り上がるおっちゃんたちの会話に耳傾けてる心地よさ(?)だし・・・

★しゃちょ
ぎゃあああああ!
空と飛ぶフラメンカ(←飛行機でフラメンコを観にくる北海道美人、推定25歳)より、
このような身に余る賛辞をいただき喜びに堪えません。
また、私の書いたものについては周到に回避される聡明さに驚きを隠せません。
なお、極道女番長みみずくの文責は私にあるというのが私の分析です。

サラ・バラスの鍛え抜かれた身体。
踊るために作りあげたのであろうその姿は、
本当に美しいと思った。

しかし、彼女は一人の女性として、
踊ること以外の幸せを手に入れる選択をした。
私がすでに持っているような、平凡な幸せ?

彼女の潔い決断は、
フラメンコが決して手の届かない特別なものではなく、
人として豊かに生きること、
普通の幸せを感じることの中にあることを教えてくれたような気がする。

サラ・バラスのあっと驚く展開は、
私たちにほんとにいろんなことを考えさせてくれたね。
すとんびの鋭い考察で、サラの写真のもうひとつ深い奥行きが視えてきた。

待ってました! 奥濱春彦氏のインタビュー!
この方の踊りはまだ実際に観たことはありません。
でも、ここ数年定期購読しているパセオの広告写真から、
独特の雰囲気を感じていました。
第一印象は俳優の三上博史。
何よりも、ストイックな色気。
ガデスを初めてみたときの感覚と同じです。

昨年のハルメンの部屋は、密やかな楽しみでしたが、
じつはそれ以前、2007年10月号の「コンプレックスと向き合おう」の
特集での記事が印象深かったのでした。
バレエでコンプレックスを克服したとあり、共感を覚えたのです。

そして今回のフラメンコ力アップ「すべてつながる」です。
本当につながった! とひとりで盛り上がりながら読みました。
舞踊の空間を球体として捉えるという意識は、なるほどと勉強になりました。
初心者としてバレエをかじった私にとって、非常に実感し易い表現でした。
2007年10月号に書かれていた内容が、より深く理解できたように感じます。
失礼ながらひとりの芸術家の成長を、パセオの不定期の記事から、
図らずも追うことができたようで、
これもひとつの定期購読の醍醐味なのだと知りました。

さて、一番心に響いた箇所は、「レッスンは一期一会」のくだりです。
とくに、「怖いくらいの緊張感 ~~ 師匠が持ってる芸を、
今この瞬間に盗めないのが怖いという恐怖」という一文です。
この記事を読む数日前、まさに私自身が受けた歌のレッスンで
この体験をし、へこんでいたのです。
あるひとつの発声を、先生が根気よく私に何度も繰り返させてくれたのに、
どうしても掴めなかったのでした。
ひとつのことを自分の物にするチャンスを逃してしまったのです。
レッスンが終わった後、このようなことにいちいち捉われていては
いけないのだろうかとも考えましたが、何かが引っ掛かっていました。
その答えがそのままインタビューの中にあったのです。
やはりレッスンには、怖いくらいの緊張感を持って臨むべきなのだ。
私の引っ掛かりは重要なことだったのだと気付かされました。
これからは細心の準備をして、先生と対峙したいと思います。
このインタビューに感謝です。

「フラメンコの光源」サラ・バラス。
彼女の休息宣言は、40代の女性として私も身につまされる思いがしました。
(もちろん中身は足元にも及びませんが)
いや、女性としての人生というよりも、
芸術家として活動を続けるにあたってのインプット、
アウトプットにあるのではと想像しました。
12年間トップスターとして表現し続けることは、体力的にはもちろんですが、
精神的な枯渇という不安も抱えなければならなかったのではないかと思うのです。
もしそれを自覚していて2年間と限定したのであれば、
必ず豊かな実りあるものを得て、
新たなステージに立ってくれるのではないでしょうか。
(このような感想を持ってしまったのも、ただパセオの感想文を書くだけでも、
だんだんと自分の内にある底の浅いごみ箱をさらわざるを得なくなっていることを
自覚してきたからです。表現活動をされるすべての方を尊敬します。)

「なんでかなの記」。
やっぱりこの随筆については何かを書かずにはいられません。
ユパンキ氏との交友のあり方に深い感動を覚えました。
民族音楽をとつとつと深く研究される過程で、
尊敬する人に真摯に教えを請い、
その交流が無二の親交となっていく様を伺い、心温まりました。
またパセオでもお馴染みの高場将美氏とも同様に深い交流があることを知りました。

「すべてはつながる」。ここでも出て来ましたね。
八方(不)美人で誰とも薄い交流しか持って来なかった
わが身の情けなさを振り返ってしまいました。
濱田先生の慎み深さから多くのことを学んでおりますが、
これからでも間に合うでしょうか。

芸術の秋にふさわしく、様々に思い耽るのにぴったりの11月号でした。
今回の化学反応は、内面に留まらず、珍しく行動にまで及びました。
奥濱春彦氏のソロリサイタルを予約したのです。
背中を押してくれたパセオ誌に感謝します!
楽しみがつながりました。

この言葉が頭から離れないのですが、
ふと他者との接し方にもいえることなのではないかと思い当たりました。
背中からも斜めからも見ている人はいるかも知れない。
正面ばかりに気を遣って、視界に入っていなかった人を
知らず知らずのうちに傷つけてしまうこともあるのではないかと。
神経をすり減らして自滅してしまっては元も子も無いですが、
そういった試練にも耐えつつ、
自然体で感じられるようになれたらと思うのです。
豊かな空間を目指したいです。

う~む。もの凄い「気づき」だね。
そこへの共振から、私にも思い当たることがある。
例えば、呑み屋なんかでも、
ほんとうに極まれなんだけど、
360度どこから観ても、
魅力的なオーラを放ってる人がいる。
単に容姿が美しいとかじゃなくてね。
あれは、みゅしゃの指摘する「好ましい自然体」なのだと分析できそうだ。
各人が、人それぞれの持ち味に合わせてそれを追求することは、
世の中を豊かにすることにつながる可能性は高いね。

旧友と新宿で呑む。
話せば必ず意見の衝突する仲だが、
時おり妙に懐かしくなる。
おそらくは互いに似通った性質なのだろう。
その会話は、まるで自分との対話のようだから。

そこそこクラシック好きの奴に、
シフのバッハCDを土産にした。
ピアノによる『パルティータ全6曲』。
新盤が品切れだったので旧盤を。
26年ぶりの新盤には、自由闊達な貫禄があるが、
1983年録音の旧盤には、青春のきらめきがある。
甲乙つけがたい名演なのだ。
いずれにしても、いまのヤツの心に
最もしっくり来るアルテにちがいない。

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2020年10月26日(火)/その482◇古典的ニューウェイブ

★フラメンコギター&カンテコンサート/ スペインの新しい風
10月24日/東京・初台・東京オペラシティ近江楽堂
(ギター)フアン・カンパージョ(カンテ)ハビエル・リベラ

圧巻はアンコールに二つ唄われたファンダンゴで、
いわゆる美しい音楽ラインからはみ出たどころのエネルギー炸裂に、
この好感度デュオの、並びにフラメンコそのものの本領を感じた。

「スペインの新しい風」という公演タイトルは安易ではなかった。
パコ・デ・ルシアが極めたフラメンコの新しい王道とは異なる、
そのさらに以前の源泉にインスピレーションを求めるやり方は、
最近の来日スペイン人アーティストに多く見られる傾向である。

古典に対するリスペクトと修練をベースに、
現代のセンスやテクニックを程よくミックスさせる潮流は、
伝統芸術の継承発展には欠かすことのできない重要なセクションだ。
クラシック音楽の世界でもこの半世紀ばかり、
そうした方法論が異様なほどに重要視されているし、
また、我が国の伝承芸術“落語”における春風亭小朝や柳家喬太郎などの
古典落語にも顕著な好成果を生んでいる。

ハビエル・リベラは、芳醇にして瑞々しい現代感覚で、
フラメンコの主要ヌメロ9曲を歌った。
上手さが前面に出るのは35歳という年齢のせいだろうが、
尻上がりにフラメンコ度を増す歌唱プロセスに、じわじわ快感がアップする。
彼は1975年セビージャ出身で、父親はカンタオール“エル・ビチチ”。
アデラ・カンパージョやカルメン・レデスマなどの伴唱と並行しつつ、
ソリストとして多くのカンテ賞を受賞している。

一方のフアン・カンパージョは、あのカンパージョ一家出身で、
日本でも大人気の舞踊手ラファエルを兄に、同じくアデラを姉に持つ。
2007年ラ・ウニオン「ボルドン・ミネロ賞」受賞で
ソリスタとしての地位を確立した、おそらくは20代後半のギタリスト。
ビセンテ・アミーゴ以降の聡明なミュージシャンに共通する傾向だが、
フアンの優れた音楽技巧は透明・繊細・精密を特徴としており、
その完成度はクラシック畑にもヒケをとらぬほどの明快性を極める。
加えて、彼の選ぶ主要音が懐かしい古典的色彩であるところがもろに新しい。
単音や短いフレーズでは勝負しないところが旧人類にはやや不満だが、
音楽全体のバランス・構成の本格性には、彼の豊かな未来が垣間見られるのだ。

ハビエルとフアンは、このライブの二日後の野村眞里子プロデュース
“ututu”大阪公演のために来日したが、
経済的・時間的リスクの上にこうした極上カンテ・ライブを
実現された主催者のアフィシオンと心意気に最敬礼!
アンコール含め75分。もうちょい聴きかったという甘美な余韻が、
否応なく次回への期待感につながる。

「ハビ(エル)って、小山さんそっくりじゃん!」
終演後、久々の対面に堅く握手を交わしながら
カンタオーラ川島桂子はこう叫び、大御所・遠藤あや子と
スペインから同行した志風恭子はすかさずそれに同調する。
そ、そうかなっ? ハビエル・リバラはいい唄い手だが、
でもキアヌ・リーブスにはちっとも似てないと、私は思った。

月曜はライター(ぐら=小倉泉弥)を見習い同行させ、14時にパセオを出発。
新年号新連載「心と技をつなぐもの」の写真取材である。
ちなみにぐらは4月号(第三回)で、人気カンタオール石塚隆充を担当する。

そして第一回目は、昨年文化功労者に顕彰された小島章司。
連載担当はガッツなカメラマン大森有起。
緊張と笑いに充ちた撮影タイム3時間強。

三名ともへろへろになりながら、
代々木上原の私の行きつけで反省・展望座談会。
19時あたりから呑み始めたのだが、
盛り上がりまくるガチンコ議論に、気がつけば24時過ぎ。

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